ゼロカーボンはいばらの道:新たなる難題

Zbynek Pospisil/iStock
日本政府はGX(グリーントランスフォーメーション)を推進している。GXの核になるのは温室効果ガスの削減、なかでもゼロカーボンないしはカーボンニュートラル(ネットゼロ)がその中心課題として認識されてきた。
ネットゼロ/カーボンニュートラルの意味:言葉の整理
そもそもの発祥である欧州を中心に広く流布しているのはネットゼロ(Net zero)である。Netは正味あるいは実質という意味である。ゼロカーボンはネットゼロとほぼ同意である。
カーボンニュートラルは、カーボンつまり二酸化炭素(CO2)がニュートラル(neutral)つまり中立であるという意味。ここでいう中立とは、二酸化炭素の排出量と吸収量がどちらにも偏らずにバランスが取れていることを意味する。
ネットゼロ、カーボンニュートラル、ゼロカーボンも主たるターゲットは炭素つまりCO2なのだが、広義には他の温暖化ガス、例えばメタンガス(CH4)なども含む場合もある。
しかし、車の世界で言えば、ハイブリッドなどのガソリン車はもう一切やめてバッテリーEV(電気自動車)にシフトしようと煽るように、ネットゼロ(カーボンニュートラル、ゼロカーボン)=脱炭素になってしまっている。

Olivier Le Moal/iStock
炭素社会から水素社会へ
EUは2019年に〝脱炭素〟と経済発展の両立を図る「欧州ニューグリーンディール」の推進を掲げ、欧州グリーン派は1980年代からの画策と夢の実現に向かって、脱炭素を一気に先鋭化して行った。二酸化炭素こそが諸悪の根元という善悪二元論の推進である。
EVは発電源を辿っていけば、石炭火力をやめても天然ガス火力が残る限り脱炭素にならない。そこで登場したニューヒーローが水素である。
水素社会とは、私たちの日常生活やそれを支えるインフラあるいは製造業などのあらゆる局面に水素利用が行き渡るような社会である。
とりわけ日本政府が推進するGX=脱炭素+水素社会の実現である。

トヨタの新型燃料電池自動車(FCV)「MIRAI(ミライ)」
Sjo/iStock
身近なところではトヨタのMIRAI(ミライ)に代表される燃料電池自動車、製造業では製鉄業の脱炭素としての水素を使った還元(水素還元製鉄)、そして石炭・石油・天然ガス火力の代わりに水素を燃やして発電する方式がある。特に発電では水素(H)を窒素(N)と結合させたアンモニア(NH3)として燃やす(アンモニア混焼)方式が実現に向かっている。
水素が喧伝される最大の理由は「使うときに二酸化炭素が出ない」である。その背景には二酸化炭素さえ出なければハッピーという幻想がある。
一酸化二窒素という悪魔:新たなる難題
アンモニア混焼とは、火力発電特に石炭火力で燃料の石炭にアンモニアを混ぜて燃やすことをいう。そう、アンモニアは燃えるのである。この方式を用いると燃焼によって発生する二酸化炭素の量を劇的に減らすことができるとされている。

一酸化二窒素(笑気ガス)の分子モデル
PeterHermesFurian/iStock
燃焼にともなって大気汚染の大きな要因になる窒素酸化物(NOx:ノックス)が発生するが、それに加えて一酸化二窒素が発生する。
一酸化二窒素は大きな温暖化効果を持つガスであり、それは二酸化炭素の300倍にもなる。工業化以前(1750年)の大気中の一酸化二窒素の濃度は約270ppbと見積もられているが、2022年の測定値(世界平均)は335.8ppb(0.3358ppm)であった。
2021年から2022年の一酸化二窒素の増加は1.4ppb(0.0014ppm)だった。一方の二酸化炭素の増加は2.2ppmであった。
アンモニア混焼が世界的に大規模に進めば、一酸化二窒素は今まで以上の速さで増加していく可能性がある。
つまり、二酸化炭素を潰しても、それよりもはるかに強力な温暖化ガスである一酸化二窒素がヒョッコリと顔をもたげてくるという、なんともアンハッピーな構図が浮かび上がってくる。まるでモグラ叩きのごとき新たなる難題の出現である。
脱炭素至上主義の死角
一酸化二窒素は農業からも発生している。世界規模で広範に農地に散布されてきた窒素肥料からも発生している。人為的活動から大気中に放出されるもっとも大きな割合を占めている。

©️国立環境研究所
以上のことから私たちは2つの教訓を得ることができる。
- 問題は脱炭素ではなく温暖化防止のはずである。ゼロカーボンやカーボンニュートラルのように〝ゼロカーボン(ゼロ炭素)〟至上主義はそれ自体に執着すればするほど墓穴を掘るというパラドックスに陥っている。
- 太陽光パネルやバッテリーEVがまさにそうであるように、最初は良いが、大量生産され世の中に流布してくると、それまでは隠れていたより大きな問題が頭をもたげてくる。
日本政府は今やGX至上主義、しかもGX=脱炭素という蒙昧なプリンシプルに多くの専門家や学者などを巻き込んで邁進しようとしているが、これらの教訓を今一度良く噛み締めたほうが良いだろう。

関連記事
-
原子力規制委員会は、今年7月の施行を目指して、新しい原子力発電の安全基準づくりを進めている。そして現存する原子力施設の地下に活断層が存在するかどうかについて、熱心な議論を展開している。この活断層の上部にプラントをつくってはならないという方針が、新安全基準でも取り入れられる見込みだ。
-
先日、デンマークの政治学者ビョルン・ロンボルクが来日し、東京大学、経団連、キャノングローバル戦略研究所、日本エネルギー経済研究所、国際協力機構等においてプレゼンテーションを行った。 ロンボルクはシンクタンク「コペンハーゲ
-
東電は叩かれてきた。昨年の福島第一原発事故以降、東電は「悪の権化」であるかのように叩かれてきた。旧来のメディアはもちろん、ネット上や地域地域の現場でも、叩かれてきた。
-
今度の改造で最大のサプライズは河野太郎外相だろう。世の中では「河野談話」が騒がれているが、あれは外交的には終わった話。きのうの記者会見では、河野氏は「日韓合意に尽きる」と明言している。それより問題は、日米原子力協定だ。彼
-
福島第一原発事故は、日本人が原子力とともに生きるかどうかの選択を突きつけています。他方、化石燃料には温暖化や大気汚染などのリスクもあり、私たちの直面している問題は単純ではありません。十分なエネルギーを利用し、豊かな環境を維持しながら、私たちは持続可能な文明を構築できるのでしょうか。
-
スマートフォン向けゲームアプリ「ポケモンGO(ゴー)」。関係なさそうな話だが、原子力やエネルギーインフラの安全についての懸念を引き起こす出来事が、このゲームによって発生している。
-
GEPRを運営するアゴラ研究所は、エネルギーシンポジウムを11月26、27日の両日に渡って開催します。山積する課題を、第一線の専門家を集めて語り合います。詳細は以下の告知記事をご覧ください。ご視聴をよろしくお願いします。
-
福島原発事故後、民間の事故調査委員会(福島原発事故独立検証委員会)の委員長をなさった北澤宏一先生の書かれた著書『日本は再生可能エネルギー大国になりうるか』(ディスカバー・トゥエンティワン)(以下本書と略記、文献1)を手に取って、非常に大きな違和感を持ったのは私だけであろうか?
動画
アクセスランキング
- 24時間
- 週間
- 月間