記憶と教訓を継承し続けるために「東日本大震災・原子力災害伝承館」に求められるものとは?
「複合災害の記憶と教訓を将来に引き継ぐ」
こう銘打たれ、2020年9月20日に「東日本大震災・原子力災害伝承館」が福島県双葉郡双葉町にオープンした。
- 原子力災害と復興の記録や教訓の「未来への継承・世界との共有」
- 福島にしかない原子力災害の経験や教訓を生かす「防災・減災」
- 福島に心を寄せる人々や団体と連携し、地域コミュニティや文化・伝統の再生、復興を担う人材の育成等による「復興の加速化への寄与」
伝承館は、このように3つの基本理念を掲げているが、未曾有の複合災害からの復興という困難な課題に向き合ってきた証をアーカイブとして収集・保存・展示するための施設であり、地震や津波の爪痕を残す資料や避難地域に残された資料、復旧・復興の過程の資料など、約24万点を収集したという。
館長を務める長崎大学 原爆後障害医療研究所 国際保健医療福祉学研究分野教授である高村昇氏曰く、これらの展示物や映像を通して、過去から未来にわたって得られたさまざまな知見を国内外の方々が学ぶことのできる「知の交流拠点」としての役割を果たしたいとのことだ。
筆者は、2020年10月に双葉町を訪れ、駅周辺を散策したのち、東日本大震災・原子力災害伝承館の副館長と、伝承館を管理運営する(公社)福島イノベーション・コースト構想推進機構の企画戦略室長にインタビューを行った。
震災を知り、忘れずに伝える場であるために
「伝承館は復興だけを見せようとして、ごまかそうとしているんじゃないか、そうおっしゃる方もいますが、私たちが言う復興というのは、地震があって、そこから始まっているので、いろいろな苦しみを味わってきて大変だったことをすべてひっくるめて、復興なものですから」
そう語るのは、インタビューに応じてくれた伝承館副館長の小林孝さん。
小林さんは福島県郡山市出身で、福島県の職員として震災時は県立会津総合病院にて相双地方から移送された患者の受け入れを行った。さらに、国見町にて県産品のPR・販売、風評払しょくに取り組み、県立医科大学では県民健康調査の実施にも携わったという。
2020年4月から約20名で立ち上げてきた伝承館のスタッフは、地元小学校の校長先生や警察官、町職員、行方不明者の捜索に従事していた方、震災後に開校した小高産業技術高校やふたば未来学園を卒業したばかりの新卒職員と多彩だが、地元出身者や複合災害の当事者として、震災と原発事故を風化させずに伝えていこうという志を持ったメンバーが集まったとのことだ。
伝承館のある双葉町は、福島第一原発の5km圏内で放射線量が高く、震災後は立ち入りさえも制限されてきたエリアだ。まずは、そのような場所にできた伝承館をどんな施設にしたいか聞いてみた。
「震災を知り、忘れずに伝える場であることを心がけています。毎年のように国内外で大きな災害が発生していますし、福島県が経験した世界に例がない災害も決して他人事ではなくて、いつ自分の身にふりかかるかわかりません。ですから、来ていただいた方が災害について学んだり、何かを得て帰っていただくことで、有事の際にどうするか、考えるきっかけにしていただければと思っています」(小林さん)
具体的には、福島が復興する姿のPRだけでなく、研修事業として学校・団体客向けの一般研修、自治体・企業向けの専門研修にも取り組んでおり、フィールドワークや講演、調査・研究での成果を活かした復興や防災に関する研修などを実施している。
地域の現状を知るという意味では、学校などはバスで遠回りをしながら、近辺の震災遺構や人が住んでいないバリケードが張られた場所などを一通り見てから、伝承館に来るケースもあるとのことだ。
また、観光という軸でも「ホープツーリズム」など浜通り地域を中心に多くの被災地ツーリズムが企画されているが、アーカイブ施設として効果的に伝承し続けるためには、各地の震災伝承施設と連携していく必要がある。
伝承館は、国と4県1市で構成される「震災伝承ネットワーク協議会」の「震災伝承施設」に登録されているが、岩手県東日本大震災津波伝承館や気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館などとは、スタッフ同士で行き来しているという。
近隣の富岡町には、東京電力ホールディングスが運営する廃炉資料館もあるが、伝承館とのすみ分けについて小林さんはこう表現する。
「廃炉資料館は、やはり事故発生の責任という観点で、反省と教訓にフォーカスしているのだと思いますが、伝承館は、地震・津波もありますし、避難があったり、除染があったり、風評被害があったり、健康に対する不安があったり、経験したことのない複合災害をトータルでお伝えする施設なので、“百貨店”のイメージに近いかもしれません」
伝承館の屋上部分はテラスとして開放されており、そこから一望できる海側の景色は非常に美しい。だが、海から500メートルほどの距離にあるということはつまり…と頭に過ぎる。
以前、福島第一原発を視察した際に津波の爪痕を目の当たりにして戦慄した経験から、津波対策についても質問したところ、
「ここの土地はかさ上げされているということと、防潮堤がもともと6.2メートルだったのを7.2メートルに上げたこともあり、対策については強化されています。普通は収蔵庫は1階にありますが、ここは展示室も収蔵庫も2階です。万が一のことがあっても資料を守れると思います」(小林さん)
と説明してくれた。
もちろん、災害において「絶対大丈夫」などということはない。しかし、居住者のいない帰還困難区域でありながら復興の拠点でもある、かつて原発の町だった双葉町だからこそ、あえてこの場所でやる意味があるということなのだろう。
伝承館の展示と「語り部」
小林さんへのインタビュー後、スタッフの方に順路に沿って館内を案内してもらった。
まず、プロローグとして、1階にあるシアターにて津波や福島第一原発における水素爆発の様子などをまとめた約5分間の映像を観たあとで、壁に記された年表を見ながら螺旋状の通路を歩き、2階の展示室に向かう作りになっている。
展示ゾーンに足を踏み入れるとダークトーンの空間に変わり、はじめに原発周辺の地域特性や産業、災害前の生活についての映像など、主に福島の「浜通り(福島県の東側、太平洋に面したエリア)」を知らない方向けとも言えるコーナーがある。奥の壁一面に原発のPR看板の写真が見える。
“災害前”を抜けると、「災害の始まり」コーナーに入り、「原子力発電所事故直後の対応」「県民の想い」「長期化する原子力災害の影響」「復興への挑戦」という順に、時系列で見ていく形になる。
ざっと回るにも1時間くらい、映像まですべて観ると数時間はかかると思うが、小林さん曰く「震災前の生活について話す映像や、震災・原発事故のときにどのように対応したかという証言映像は、あと数年もすれば風化してしまうので、恐らく今しか作れなかったと思う」とのことで、来館者の方にはじっくりと観ていただきたいと語っていた。
所感としては、丁寧な解説と映像というベースに加え、データの見せ方に工夫があったのは好印象だった。一方、収集した多種多様な“モノ”を見せられることは強みであると同時に、震災、原発事故、復興という大きなテーマをカバーするという意味では、何をどれだけ見せるか、という部分に課題があると感じた。
時間の関係で駆け足で観る形になったため、本稿では展示そのものの詳しい解説はできないが、写真をいくつか紹介するので、イメージだけでも掴んでいただければと思う。
常設展示の出口のすぐ隣には企画展示室もあるが、常設展示を徐々に入れ替えていくだけでなく、今後企画展も積極的にやっていくとのことだ。
「例えば、津波、地震、原発事故というようにテーマを絞ったり、双葉町、浪江町などエリアを区切って企画を考えたり、いろいろと工夫しながらお見せしていきたいです」(小林さん)
また、伝承館には展示の他にも目玉となる企画がある。被災した方々の生の声を聞き、当時を追体験できる「語り部講話」だ。
ワークショップスペースにて、語り部29人が1日4回ローテーションで口演しており、来館者からの評判も良い。
お話を伺ったのは70代の男性で、写真を映しながら当時の状況や様々な思いを語ってくれた。「ちょうど住んでいた家が取り壊されることが決まって」と寂しそうにお話ししていたのが印象的だった。
3.11から10年が経ち、記憶の風化とともに語り部の重要性は増しているが、登録者のうち約8割が60~70代とのことで、伝承館のスタッフの中にも語り部がいるものの、若い世代は少ない。
記録と記憶を継承し続けるためには、語り部人材の育成・確保の仕組みや体系的に情報を保存する方法が必要と言えるだろう。
「福島イノベーション・コースト構想」とは?
伝承館の「復興への挑戦」のコーナーでは、「福島イノベーション・コースト構想」などの行政の取組みが紹介されているが、どんな構想なのだろうか。
福島イノベーション・コースト構想は、「東日本大震災及び原子力災害によって失われた浜通り地域等の産業を回復するために、新たな産業基盤の構築を目指す国家プロジェクト」とされており、重点分野として、廃炉、ロボット・ドローン、エネルギー・環境・リサイクル、農林水産業、医療関連、航空宇宙を挙げている。
福島イノベーション・コースト構想を推進する中核的な機関であり、伝承館を管理運営する公益財団法人福島イノベーション・コースト構想推進機構 企画戦略室長 掛川昌子さんに詳しいお話を伺った。
掛川さんは、経済産業省に入省後、2013年6月から3年間復興庁福島復興局に出向し、福島県南相馬市などの避難指示区域の復興再生支援業務に従事。2018年7月から、福島イノベ構想の情報発信、プロジェクトの企画調整を担当している。
まず、福島イノベーション・コースト構想が立ち上がった背景について。
「震災と原子力災害の打撃を受けた浜通り地域は、原発を中心に雇用が成り立っていたわけですが、廃炉と復興を進めていく中で、若い方々に浜通りに戻ってきていただいたり、新たに住んでいただくためには、自らの生活の基盤となる産業をつくっていく必要があります。さらに、そういった方々が意欲を持って取り組んでいただける土壌を築く必要があるということで、2014年に当時の経産省の赤羽副大臣が主催する研究会という形ではじまり、段階的に立ち上がってきた背景があります」(掛川さん)
上記のように、産業集積がメインテーマであるが、浜通り地域は原発事故によって避難をし余儀なくされ、住民がいなくなってしまった状況がある。つまり、全国に先んじて少子高齢化、過疎化等の課題を抱えており、その対応策として、地元事業者の帰還や企業誘致の促進が求められているということだ。
「浜通りは、いわば日本が将来直面するであろう課題を最も顕在化した“課題先進地域”になったと言えます。ただ、その課題が目の前にあるからこそ、新しい技術やサービスを取り入れる、それがイノベーションだと思っていますが、そういった分野で新たにチャレンジする甲斐はありますし、あらゆる方がチャレンジできる地域になりえるのではないでしょうか」(掛川さん)
ピンチをチャンスに変える取り組み
福島イノベ構想は壮大なプロジェクトだが、中でも伝承館とともに福島イノベ機構が管理運営する南相馬市の「福島ロボットテストフィールド」は、最新のテクノロジーやロボットの試験や最先端の開発ができるエリアとして注目されている。
「福島ロボットテストフィールドがあるのは、津波によって住宅等を建てられなくなった地域です。非常につらい現実ではありますが、それを逆手に取り、これからインフラ点検や物流などで伸びていくであろうロボット・ドローンの研究開発のための実証実験や消防関係の訓練もできる環境を整備しました」(掛川さん)
確かに、大いにニーズのある領域でもあるし、福島第一原発の廃炉作業もロボットの進化なしには完遂することはできないという意味でも重要な取り組みと言える。
福島ロボットテストフィールドの本拠点は、「南相馬市復興工業団地」内の東西約1,000m、南北約500mの敷地内にあるが、開発基盤エリアの研究棟には研究者や開発者が活動拠点として利用できる研究室も用意されている。
「当初研究室は13部屋だったのですが、応募が非常に多かっため22部屋に増やし、すべて埋まりました。厳しい被害のあった地域ではありますが、研究室には大学や研究機関だけでなく、大手企業、ベンチャー企業も入居していて、県内外からチャレンジしたい方々が集まってくれました。実際に、地元企業と東京などから進出してきた企業が共同開発に取り組む事例も生まれています」(掛川さん)
このように手応えを感じる一方、福島イノベ構想の知名度や発信という面では、課題があるという。
「やはり、まだまだ伝え切れていない部分が大きいと思っています。イノベーションというと敷居が高く感じる方もいらっしゃるので、災害の現場で使えるものであるとか、もっと分かりやすく伝えていくことで、参画しやすい環境をつくっていく必要があるでしょうし、さらに、複合災害からの復興・再生のための国家プロジェクトとしてやっていますので、福島県内だけではなく、日本全域、さらには海外にももっと発信をしていかなければと考えています」(掛川さん)
来館者の感想から何を見出すか
福島イノベ構想の中で伝承館は、災害の状況を知り防災・減災の教訓にしてもらうという側面だけでなく、これから進んでいく福島の状況を発信していく拠点としての役割があり、また、交流拠点施設を巡るモデルツアーを組むなど、交流人口の核としての役割もあるという話だったが、実際に伝承館には来た人はどれくらいいたのだろうか。
コロナの影響がなかった際に計画された来館者数の目標は年間5万人とのことだったが、2020年9月20日から1カ月足らずで1万人を突破し、2021年2月末時点で3万7千人に達したという。
入館料は大人600円、小中高300円と決して高くはないものの、コロナ禍により期待していた外国人旅行客がまったく見込めないことや立地・交通アクセスなどを勘案すると、集客に関しては好調な滑り出しと言えるだろう。
また、来館者へのアンケートから得られた感想については、どのようなものが寄せられているか、主要なものをピックアップしてもらった。
- スクリーンの大きさや画面使いを考えると、プロローグの映像は迫力がなくもったいない
- 事故の根本的な原因、責任をきちんと追及するものがあっても良いと思う
- 進化する内容に期待。現場にいた人の話など聞きたい。津波の到達点なども知りたい
- もっとリアルな映像があっても良い。3階の展望エリアに以前の様子の写真があると良かった
- 震災を知っている立場としては「こんなもんか」という印象だったが、今後10年20年経ち、震災を知らない世代が見ると印象に残ると思う
- 被災を誇張したりお涙的な表現がなく、事実に基づいた内容で良かった
- とても分かりやすいVTRだった。ネットでも一部閲覧できるようになると良い
もちろん、上記は一部の意見であるし、背景をよく知る県民と、県外から来た人を一緒くたに扱うのは正しいやり方とは言えないが、他所での評価でも見受けられる「物足りなさを感じた」という意見には注目すべきではないだろうか。
原発と切っても切れない関係である双葉町に開館したことを考えると、震災以前に関する展示が少なく、被害状況や東京電力の対応についてなど、震災後に起きたことの展示が大半を占めるのは、片手落ちとも言えるからだ。
伝承館は大量の資料を収集し、発信していくために、来館者や識者の意見を取り込みながら、進化していくことを目指すと副館長の小林さんも言っていたが、この点に関しては改善の余地があるし、一人の客としてアップデートした姿をまた見にいきたいと思う。
記憶と教訓を継承し続けるアーカイブ施設として
原発事故の反省と教訓、廃炉の進捗報告がメインとなる東京電力廃炉資料館などとは役割が違うのは前述の通りだが、やはり伝承館は他の震災伝承施設と比較しても中心的な存在であり、多くの役割を期待される存在だ。
その証拠に、開館からわずか半年弱、2021年3月3日には、資料選定検討委員会や来場者からの実物展示の充実やわかりやすい解説を求める声に応える形で、常設展示の内容が拡充された。
具体的には、大熊町の旧原子力災害対策センターにあった自衛隊地形図などを新たに展示し、福島第一原発で講じられていた津波対策への見解、震災および原発事故関連死など県民の苦労、困難の実態などについてより詳しい解説を加えた。
加えて、3月24日からは特別展示も始まり、仮設住宅での暮らしや地震被害を示す写真や川内村で避難指示を知らせた防災無線の音声、ホールボディーカウンター(体内に存在する放射性物質を体外から計測する装置)など約40点を展示している。
また、同日1階屋外の海のテラスでは、「原子力明るい未来のエネルギー」という標語を掲げた看板が、波で被災した双葉町消防団の車両とともに展示された。縦2メートル、横16メートルあり大きすぎるため、開館時は展示を見送られたものだ。
この看板は、原発を推進してきた町の象徴的な存在として、JR双葉駅前の商店街の道路をまたぐように立っていた。原発事故後に安全神話を象徴する「負の遺産」として知られるようになったが、経年劣化を理由に2016年3月に撤去、保管されていた。PR看板は4種類あり、残り3種類についても入れ替えながら順次展示していくという。
こういった過去から未来へと繋がっていく展示には価値があるのではないだろうか。課題先進地域で進化し続ける伝承館に、今後も大いに期待したいところだ。
※2020年10月末時点の取材をベースに執筆しているため、一部情報が古い可能性があります。事実誤認等は修正しますので、ご指摘ください。
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