ESD(持続可能な開発のための教育)をめぐって
今、世の中で流行っているSDGs(Sustainable Development Goals)を推進する一環として、教育の面からこれをサポートするESD(Education for Sustainable Development)が注目されている。文科省のサイトには、このESDに関する解説記事が載っている。そこには「ESDは持続可能な社会の創り手を育む教育です。」と明記されている。
このESDで目指すこととして
1)6つの視点:持続可能な社会づくりの構成概念
- 多様性(いろいろある)
- 相互性(関わりあっている)
- 有限性(限りがある)
- 公平性(一人一人大切に)
- 連携性(力合わせて)
- 責任制(責任を持って)
2)7つの能力・態度:ESDの視点に立った学習指導で重視する能力・態度
- 批判的に考える力
- 未来像を予測して計画を立てる力
- 多面的・総合的に考える力
- コミュニケーションを行う力
- 他者と協力する力
- つながりを尊重する態度
- 進んで参加する態度
が挙げられている。なるほど、なかなか良く考えられた内容であると思う。この内容は、以前に筆者が「科学・技術の暴走を防ぐための「知恵」とは?」で論じた「現代人が身につけるべき思考方法」と重なる部分が相当ある(詳しくは後述)。その一方で、筆者の目から見て、やや物足りないと感じる部分もかなりある。もちろん、上に挙げられた項目は「必要条件」であって「十分条件」ではないから、その点の揚げ足取りをするつもりはない。しかし、その「土台」となる部分が、どこか物足りないのである。
その「土台」に当たる部分として、「持続可能な開発のための教育(ESD)推進の手引」を見ると、小学校教育の基本要素として次の3点が挙げられている(この内容自体は、小・中・高で一貫して重視すべきだろう)。
1)知識・技能
2)思考力・判断力・表現力
3)学びに向かう力・人間性
これ自体に異論はない。極めて真っ当な指摘である。問題はその具体的な中身である。これをぜひ充実させていただきたい。その際お願いしたいのは、一見地味であっても、基礎的な知識と論理的思考の涵養は、子どもたちの教育にとって重要なので、今流行の「バーチャル」とかプログラミングとかゲームとかで誤魔化さないでいただきたいのである。
子どもたちにとって重要な知識の対象とは何か?筆者の考えでは、大きく分けて1)自然・環境と、2)人間・社会の二分野であり、いずれもバーチャルでなく実物・実地で学ぶのが基本である。
1)に関するものは、学問分野で言えば物理・化学・生物・地学(生態・地球科学・天文等を含む)に相当し、例えば木や草が生え昆虫が舞い、鳥や小動物等が生き・死に、土の上に作物を植え・育て・収穫する有様を直に観察すること、それらを通して働いている原理・法則を理解させることである。
あるいは、我々の生活を支える工業製品はいかにして製造されるのか(生産・建設の現場)、そして我々が消費した後のゴミや我々の排泄物はその後どうなって行くのか(=廃棄物処理やリサイクルの世界)の実像をしっかり学ぶべきである。
SDGsを本気でやるならば、廃棄物処理の世界は絶対に避けて通れない。無論、放射性廃棄物の問題もである。この辺は科学(理学)と技術(工学)の接点とも言える。「廃棄物」の対極にある「資源」の問題も当然重要である。また生物の中には我々人間も含まれるから、医学・保健・栄養・薬事的な知識も学ぶべきである。
IT技術やらコンピュータ操作などは、これらに比べれば子どもたち(初等中等教育)にとっての重要性は低いと筆者は思う(不要だとまでは思わないが)。
2)は大きく分けて空間的な拡がり(=世界はどのように出来上がっているのか:地理)と時間的な拡がり(=人間社会はどんな歩みをしてきたのか:歴史)、それに現時点での社会のあり方(法律・制度・経済・政治・国際関係など)に関する知識、もう一つは、人間が何を考え何を大切にしてきたのか?に関する知識(学問分野で言えば、哲学・思想・倫理・芸術・宗教など)である。最後の項目は上記で言う「学びに向かう力・人間性」と密接に繋がると思う。
女性科学者のパイオニア・猿橋勝子は「科学者には哲学が必要である」と言ったが、筆者が危惧しているのは、正にこの点である。現代の科学・技術に携わる専門家たちは、しかるべき哲学・倫理を持ってそれぞれの専門分野の仕事に取り組んでいるのだろうか?また、そのように教育されてきたのだろうか?そして、これからの専門研究者・技術者は・・?ESDの焦点の一つだろうと思う。
「多面的・総合的に考える力」を養うには、それを支える基礎知識が不可欠で、小・中・高を通じて、上記各分野に関する基本的な知識・理解を身につけさせるのが肝要だろう。それも、TV番組の早押しクイズのような断片的知識ではなく、論理的思考の基盤となる系統的な知識である。最近の中高教科書を見ると、何か断片的な知識の羅列に見える点が気がかりである。
知識と並んで重要な「技能」については、筆者の考えは割りと単純であって、昔から「読み書きそろばん」と言う通り、言語能力(読む・書く・話す・聞く:日本人ならまずは日本語、できれば外国語も)と基本的な計算能力(数学の力)である。
前者に関しては、例えば「ことばの教育を問いなおす」(鳥飼玖美子他、ちくま新書1455)などでの議論が非常に有用であり、後者に関しては、例えば「新装版 好きになる数学 全6巻」(宇沢弘文、岩波書店)が具体的な教科書になるだろう。
基本的な数学能力は現代人にとって必須であり、使いこなす力がなければ、現代の社会像(しばしば数値データで表される)を正確に捉えることができず、またグラフや統計値を使うトリックや詐欺に簡単に騙されるだけである(「地球温暖化問題」が良い実例)。
「コミュニケーションを行う力」とは、思考能力(何を話し、伝えるかと言う内容の基礎)とそれを操る言語能力から成るのであり、単にペラペラ喋る能力ではない。むろん、聞き取る能力も重要である。
マスコミに出てくる論者の中には、ペラペラ喋る割りには中身がなく要領を得ない話しかできない人が結構いる(「聞く耳もたず」も)。新聞紙面などに載る論説でも、意味不明な悪文がしばしば見られる。反面教師として教材にすべきだろう。
「未来像を予測して計画を立てる力」は、社会に関しては、上記で言う人間社会の歴史と現在の姿に関する正確な知識なしに養うことは困難であるはず。むろん、それを支える思考力と想像力も不可欠である。
「批判的に考える力」が最初に挙げられていることは評価したいが、実はこれが難物である。そもそも「批判的思考」とは何であるか?単なる「揚げ足取り」ではなく、突き放した冷笑的な態度でもない。また、すぐに「ハイ、論破!」などと言う態度でもない。
実は、筆者が考える「批判的に考える力」とは、以前に「科学とどうつき合うか?」「科学の危機」で書いた内容そのものである。
再掲するが、
1)基本的な知識
2)論理的科学的思考
3)信頼できるデータの見極め(=事実の直視)
4)情報を鵜呑みにしない(=複数の情報源を当たる、裏を取る)
5)自分の頭で考える(=他人の意見を簡単に信用しない)
6)論理的に検討する(=因果関係その他に矛盾はないか?)
7)これまでの経験・知識・他人の見解も参考にする(=自分の考えだけに頼らない)
と言ったことである。
これらの中でやはり大切なのは、鵜呑みしない(=まずは「それ、本当なの?」と疑う)ことと、自分の頭で考える一方、自分だけが正しいとは考えない微妙なバランス感覚(謙虚さとも言える)だろう。
これらとともに「5. 他者と協力する力」「6. つながりを尊重する態度」「7. 進んで参加する態度」などは、先だって書いた「科学・技術の暴走を防ぐ「知恵」とは?」で述べた内容そのものである(バランス感覚、相互依存性の重視、利他主義など)。またこれらは、優れて倫理的な要請でもある。
最後に、筆者は、教育に過度の期待をしてはならないと考える。「イノベーション人材育成」とか「ノーベル賞級の科学者養成」などは、現実的でないと思う。一体、どこのノーベル賞受賞者やスティーブ・ジョブズのような人たちが、何らかの「教育」で養成されたことがあったか?またTVで良く見る「博士ちゃん」たちが、親の指導で伸びた例などもほぼ見ない。大抵の例で、親御さんたちは「うちの子、どうしてこう育っちゃったんだろう?」という顔をしている。
先の例で挙げた猿橋勝子も、親の猛反対を振り切って科学者になった。子どもは親の思うようには育たず、「勝手に」育つ。教育は「基盤」だけで良い。昔で言えば「素養」とか「しつけ」に相当する。
上記の基本的な「素養」「しつけ」が出来ていれば、SDGsは本来あるべき姿で社会に定着する希望が持てる。SDGsも、下手をすれば、単なる金儲けの手段や格差拡大に繋がりかねない危うさを含んでいるからである。これらについては、別稿で議論したい。
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