パリ協定の「終わりの始まり」
去る7月23日、我が国からも小泉環境大臣(当時)他が参加してイタリアのナポリでG20のエネルギー・気候大臣会合が開催された。その共同声明のとりまとめにあたっては、会期中に参加各国の合意が取り付けられず、異例の2日遅れとなる7月25日になってコミュニケが発表された。
各国の立場が割れたのは、先進国が集う6月のG7サミット(英コーンウォール)での気候変動対策加速・強化の流れを受けて欧米が強く求めた、気温上昇を産業革命以前から1.5℃未満に抑える目標の共有と、そのために2050年までに脱炭素を目指すという長期削減目標へのコミットすること、さらには石炭火力発電の段階的廃止や、化石燃料に対する補助金の段階的廃止を進めるといった問題の扱いだったとされている。
報道によれば気温上昇幅について、欧米が1.5℃に抑えると主張したのに対して、インド、ロシア、中国など5か国が反対し、化石燃料への補助金や石炭火力を2025年までに段階的に廃止するという議長国案にも反対する国が複数出て、これらの項目については10月末のG20首脳会議に持ち越された。
最終的に2日遅れで公表された合意文書を見ると、前者は1.5℃目標を努力目標とするパリ協定の合意を再確認するにとどまり、後者は「非効率な化石燃料への補助金を縮小することがカギとなる政策の1つと認識する」としただけで拘束力はなく、また石炭火力に関しては特に言及されていない。
一方で同合意文書の第24パラグラフでは「化石燃料が依然としてエネルギーミックスの中で重要な役割を果たしていることを鑑み、国情に応じてCCUS/カーボンリサイクルやその他、削減のための関連技術を含む先進的なクリーン技術に投資し、ファイナンスする必要性を認識する。」と書かれており、化石燃料の継続使用の必要性と、そのクリーンで効率的な使用にむけた投資の必要性について合意している。
この動きは昨今、欧米先進国の論調に見られる、化石燃料使用を全否定する動きとは明らかに一線を画している。世界の一次エネルギー供給の8割を化石燃料が担っているという現実の中で、経済発展に伴い拡大する国内のエネルギー需要を満たしていかなければいけない新興国や、そうした化石資源に国内経済が依存している国々の現実を考えると、石炭などの化石資源の利用を短期間でやめていくような政策にコミットすることができない、という国々の立場は、真っ当なものと思われる。
そもそもパリ協定は、ガラス細工のように微妙なバランスの上にギリギリの妥協を通じて合意された国際協定である。筆者は2015年12月、COP21でパリ協定が合意された場に立ち会っているが、交渉では途上国と先進国の間で立場の違いが先鋭化し、交渉テキストは何度も修正され、様々な項目の規定について各国の義務とするか努力目標とするかで二転三転した挙句、最後の合意テキストの重要な論点についても、一部反対する国がいる中で、事務局が最終的な土壇場で、口頭で聞き取れないような早口で最終的な修文を読み上げたあげく、間髪を入れずに議長が裁決のハンマーを下ろして合意を宣言するという、強行採決まがいのプロセスで、ギリギリ合意されたものである。
このプロセスの当事者であった、当時米国務長官だったケリー気候変動特使(現)は、パリ協定が微妙な国際政治のバランスの上に成り立っていることを熟知しているはずである。
パリ協定に規定された各条文は、そうした背景を前提に慎重に読む必要があるのだが、昨今、欧米先進国がパリ協定に整合すると主張する1.5℃目標は、実際の協定の中では各国の努力目標として書かれているに過ぎず、明確に合意されているのは2℃目標である。より正確に言えば、世界は1.5℃目標をコミットすることに合意できなかったために、パリ協定の条文では努力目標にとどまっているのである。
さらに重要なポイントは、パリ協定の運用の基本的な枠組みは、各国が国情や能力に合わせて自主的に温暖化対策へのコミット(NDC)を掲げ、これを国連に登録し、進捗を相互に検証するという、いわゆるプレッジ・アンド・レビュー方式となっているということである。
その背景には、パリ協定の前身である京都議定書が、先進国に対してのみ、交渉によりトップダウンで削減数値目標を義務的に課すという、いわゆるトップダウン方式だったのだが、それが機能しなくなったことがある。
新興国等の経済発展に伴い、京都議定書で義務を負わないとされていた途上国の排出拡大の比重が高まる中で、対策に実効性をもたせるには途上国の削減コミットが必須との認識が広がり、世界全体が参加する対策の枠組みが模索されたのであるが、そもそも気候変動対策の大枠を規定する国連の「気候変動枠組み条約」(94年発効)では、先進国と途上国の扱いの差異化が明文化されており、「すべての締約国は各国の異なる事情に照らした共通だが差異ある責任及び各国の能力を考慮する」という、いわゆるCBDR原則が打ち立てられている中で、途上国に対して京都議定書のようにトップダウンで削減義務を課すということはできず、パリ協定は自主的な目標設定によるプレッジ・アンド・レビュー方式とならざるを得なかったのである。
このように、パリ協定合意の前提条件として、各国の国情に照らした「自主的な」目標設定と国情に応じた対策の実施という原則がある中で、昨今の欧州を中心とする温暖化対策急進主義の風潮が、インドや中国など主要な新興国や途上国も参加するG20閣僚会合に持ち込まれ、各国にパリ協定で努力目標とされている1.5℃目標を掲げて、2050年のゼロ排出とそれに即した急激な化石燃料使用制限にコミットすることを求めたわけだが、結局G20環境大臣会合の合意文書を詳しく見ると、そうした要請はまったく受け入れられず、パリ協定合意内容から一歩も踏みだしていない、というのが実態である。
同時にパリ協定では、自主的とはいえ自らが温暖化対策を実施することを約束する代償として、途上国の温暖化対策支援のために先進国が資金支援をすることが規定されており、具体的には2025年までに1000億ドルを下限として先進国の官民資金を動員することが先進国によってコミットされている。
これが、途上国がパリ協定を批准する強いインセンティブになっていたのだが、この約束はトランプ政権がパリ協定を離脱した4年間の影響もあり、部分的にしか進んでおらず、さらにコロナ対策で先進各国が歴史的な財政赤字を抱え込む中、コミット達成の目途は立っていない。
さらに気候変動対策で世界をリードすると自負するEUは、今年7月に、温暖化対策が緩い国からの輸入品に完全をかけるという国境調整措置を導入する方針を打ち出している。
つまり昨今の欧米が主導するカーボンニュートラル・2030年排出半減に向けたG7先進諸国の動きと、それを受けてG20の場で各国に対策強化を迫る動きは、途上国の側から見ると、パリ協定で合意した内容を大きく逸脱して途上国に気候変動対策の強化を迫り、受け入れなければ貿易制限をかけると脅す一方で、パリ協定で先進国が約束した資金支援は空手形になっていくという、先進国の約束違反ともとられかねない行動と映っても仕方がなく、先進国への不信感をつのらせる結果を招いている。
こうした状況で10月末からは英国グラスゴーで、COP26が開催される。議長国である英国のジョンソン首相は、COP26を気候変動問題の「終わりの始まり」とするよう呼びかけ、石炭火力発電の廃止、ガソリン車の新車販売停止などを呼び掛けている。
しかし上述したような背景の中で、欧米先進国が今のような温暖化対策強化に向けての強硬なアプローチを続ければ、パリ協定が立脚している締約国間利害の微妙なバランスは崩れはじめ、早晩途上国サイドの強い反発を生み、場合によっては脱落する国も出てくるかもしれない。
そうなると、せっかく2020年から実行段階に入ったパリ協定、すなわち世界全体で気候変動問題に共同して立ち向かうという国際協調の枠組みが瓦解し、結果的に欧米が求める温暖化対策の加速に逆行する流れとなりかねない。
「急いてはことを仕損じる」というが、COP26はジョンソン首相の言う通り「終わりの始まり」になるとしても、それは「気候変動問題の終わりの始まり」ではなく、せっかく世界190か国余りが合意した気候変動対策の国際枠組みである「パリ協定」自体の「終わりの始まり」となるかもしれない。
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