コロナインフォデミックの戦犯たち ④専門家の無責任という酷薄
『コロナインフォデミックの戦犯たち①オウンゴールの構図』
『コロナインフォデミックの戦犯たち②メディアの亡国、罪と罰(1)』
『コロナインフォデミックの戦犯たち③不可解な動機 メディアの亡国、罪と罰(2)』
上記3回記事に続く。
冷静に見ていられないニュースというものがある。例えば、小さい子供が親に虐待を受けたという類のニュースだ。ニュースで報じられる虐待の様子やいたいけな子供の写真が胸に突き刺さる。やり場のない悲しみのダメージを避けようと思えば、そっとテレビ画面から目をそむけるしかない。
緊急事態宣言の評価について、世間の温度差はかなり大きい。肯定的に評価している人が数で言えば多数派で「大事をとって結果収束したんだから何にせよ良かったじゃないか。経済のダメージは一生懸命働いて取り返せばいいのさ。」という意見も多い。
だが筆者はどうしてもそんな温度感に納得がいかないのだ。灯油をかぶって亡くなったとんかつ屋の店主。コロナ休校中に道路で轢かれた小学生。今晩の寝場所を失ったネットカフェの住民たちは結局行方が分からない。すでに生活保護は記録的な申請数となっており、これだけ見ても追い詰められている人の状況がいかに厳しいか察せられる。
温度差の原因は、分厚い内部留保の大企業の社員、公務員、そもそも給与所得を生活原資にしていない年金生活者など、少なくとも当面は困らない人も少なからずいるからで、それ自体は結構なことで日本社会の堅牢さと言っていいだろう。
だが、日本人は自分がなんとかなっているからと言って本格的に行き詰る人がいることを知りながら平然としていられる国民だっただろうか。もともと苦しかった人や社会的な立場が弱い人たちが追い詰めている現状は控えめにいって見ていられない。
“専門家会議”の底知れぬ無責任さ
今回専門家会議は、実に専門家らしい仕事をした。要は専門以外のことを我々は一切責任を負いませんし分かりもしませんよ。よって自分たちの領域の目的最適化だけを図りますよ。というスタンスに徹したわけだ。つまり、世間が焼け野原になろうが困る人がいようがそれは自分たちの領域ではないし、判断もできないということだ。
もちろん当の専門家会議メンバー自身が確信するように、諮問を受けての最終判断の責任は内閣にある。
つまり専門領域以外は断固として免罪されるべしというメンタリティーの中で、日本史上に残る提言は行われた。議事録を残していなかったと言い張らざるを得ないこと自体が、いかにこの会議が歴史的検証に耐えられない内容であったかを表象しており、長く指弾されるだろう。(参照:SankeiBiz)
くれぐれも、悪いのはそんな無責任性を内包する勧告を丸呑みした政府にある。もっと言えば会議の建付け自体が巨大な失政であると言えるだろう。
エリート失格“専門会議”
それでも、私は専門家会議のメンバーにどうしても納得がいかない。なぜなら彼らこそが我が社会のベスト&ブライテストを期待される人達だからである。
将来の成功を「末は学者か大臣か」と有り体に表現した時代もあった。医者だとかまして国立研究機関の長ともなれば、まさに「偉い人」であって、世の中の誰もがその人の言葉に耳を傾けよう従おうと考えるし、実際に日本人は従った。
だが、だからこそ「偉い人」は社会に対して道義的責任を負わなければダメなのだ。きっとこの会議のメンバーは幼いころから誰よりも勉強ができたはずだ。世の中もそれに期待してサポートを惜しまなかったであろう。公的な教育を受けた人も多いに違いない。
そんなエリートであればこそ、危機において世の中全体への責任感を持つことは何も難しい話ではなく、人間社会の道理のような当たり前の話だ。もちろん政治家に利用される程度の知的レベルであって良いわけがない。
今回「専門家会議」の諮問を見ていると、弱い立場の人への無頓着さを感じざるを得ない。
「ノーブレスオブリージュ(身分の高い者はそれに応じて果たさねばならぬ社会的責任と義務がある)」という言葉は階級社会でない日本ではなかなか理解しにくい概念だが、今回「専門家会議」の酷薄な有り様とそれによって今現在もギリギリの苦しみを味わっている社会的弱者の人たちの姿を見て実感した。つまり「オブリージュ」の核心は「弱きが困らない」ということなのだ。しかし今回そんな視点は決定的に欠落していた。
なぜか時代もシチュエーションもまったく違うが、勝海舟の「行政改革というものは、余程注意してやらないと弱い物いじめになるよ。」という言葉が思い浮かんだ。果たしてこの政策が「弱い物いじめ」にならないか、しかるべき立場にいる人間が本来最低限持つべき感性だったのではないだろうか。
テレビの演出意図に迎合しインフォデミックを招いた“お調子者”たち
一方インフォデミック(情報感染)という意味では、もちろんテレビ情報番組に嬉々として出演した「専門家」の責任が極めて大きい。彼(彼女)らは、インフォデミックの火種を作る役を見事に担った。ボヤ程度の火種に過剰な煽り演出の”ふいご”で酸素を送りボーボーと大火事にしたのは、テレビ局を筆頭にしたメディアの責任であるが、メディアに「専門家のお墨付き」というアリバイを与えた罪は極めて大きい。
ときに「42万人死ぬ」(専門家会議の正式メンバーでないにもかかわらずメディアアピールに熱心だった北大西浦教授は私の中ではこのカテゴリーだ)と言ったり、WHOの方からきた渋谷健司氏は「東京は手遅れに近い」と言ってみたり。コロナの女王こと岡田晴恵氏に至っては「エアコンのフィルターにはウイルスがいっぱい」といった科学者らしからぬ珍発言で日々ワイドショーの盛り上げに余念がない。
彼らに共通しているのは、番組側の意図を読むことにだけに長けていること。見ているとわかるが、科学的根拠が明らかに怪しい内容にもスルーという暗黙の承認で番組の流れを壊さない重宝さで徹底している。
彼らの動機は引き起こした事態が歴史的な割に恐ろしいほど軽薄なものだ。第2回で紹介したように、テレビといういまだ極めて影響力が大きいメディアに出て有名になりたい、目立ちたい。今までは地味だった自分の領域に脚光が浴びる高揚感や有名になることのうれしさ。多少の出演料は安定した収入がある彼らとしてはオマケ程度の感覚だろうが、心ある同僚に多少白い目で見られようと名を上げて出版・講演活動でもすればひと稼ぎできる算段もあるには違いない。
だがくれぐれも彼らがテレビ局にアリバイを与え、人々をひたすらに怖がらせることに血道をあげ、逆の情報に対して沈黙を続けたことで日本社会は今後数十年にわたる停滞がほぼ確定的となったのだ。何より、今日何を食べるかどこに寝るかというような人々を大量に発生させた結果責任はあまりに重い。
(私の個人サイト「たんさんタワー」でも経済破綻のリアルについて触れていますのでよろしければ合わせてお読みください。「コロナの過剰自粛で、多くの日本人が中国人の下で働くことになるだろう」)
そして何より指弾されるべきは、圧倒的な無責任の構図と「正義感」旗印の欺瞞性でこれら専門家たちが免罪される一方、今まさに苦しむ人々に対してはその彼ら一人として歯牙にもとめない酷薄さに違いない。
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