新型コロナでよみがえる「ゼロリスク症候群」
西浦モデルの想定にもとづいた緊急事態宣言はほとんど効果がなかったが、その経済的コストは膨大だった、というと「ワーストケース・シナリオとしては42万人死ぬ西浦モデルは必要だった」という人が多い。特に医師が、そういう反論をしてくる。
これは原発事故のときと同じありふれた錯覚だ。 「炉心溶融で原子炉が破壊される最悪の場合には、放射線障害で数万人が死ぬ」という最悪のシナリオを想定することは正しいが、それに従って行動するかどうかは別の問題である。
原発事故の危険とその確率をかけた期待値を考えると、石炭火力は原子力の350倍危険なので、リスクを最小化するには石炭火力を減らして原発を増やしたほうがいい。これが経済学の想定する期待効用最大化の原則である。
ところが人はそういう合理的計算で行動しない。コロナや原発のような未知の現象に直面すると、最悪のシナリオに従って行動するのだ。これは最大の被害を最小化するミニマックス原理で、不合理な行動ではない。
たとえばレントゲン撮影で胃に影が映っていて、医師が「悪性腫瘍かもしれません」と言ったら、あなたは「良性かもしれないから手術代がもったいない」と思うだろうか。最悪の場合を考えて手術するだろう。そして結果が良性でも、医師を恨んだりしないだろう。
しかしその写真が間違いだったらどうだろう。あなたの写真は、他人の写真を取り違えたものだった。あなたの切り取られた胃は返ってこない。
「命は取り返しがつかない」という感情が、ゼロリスクの原因である。「何もしないと42万人死ぬ」という根拠のない脅しは、写真を取り違えて「切らないと癌で死ぬ」というのと同じである。手術することにも、しないことにもリスクはあるのだ。
「予防原則」で行動してはいけない
ゼロリスク感情は(少なくとも一部は)遺伝的なものである。つねに周囲からの攻撃や捕食の危険にさらされていた人類にとって、いい獲物に喜ぶことよりケガや死の危険に反応するほうがはるかに大事だった。獲物はまた捕れるが、死んだら二度と獲物は食えないからだ。
だからマスコミがネガティブな物語で「コロナの恐怖」を売り込むことは、彼らのビジネスとしては合理的だ。死の恐怖は人々に遺伝的にそなわった強い感情であり、理性的な思考に先立って働く速い思考だからである。
ゼロリスクを政策として提唱したのが予防原則である。そのもっとも強いバージョンは「少しでもリスクがあるものは禁止する」という原則である。
たとえば「1ミリシーベルト以上の放射線は人体に危険だ」という説をとなえる人が出てくると、それに科学的根拠がなくても、放射線の恐怖におびえる人は「最悪の場合を考えて禁止しよう」と考える。
そして民主党政権は、こういう人々に迎合して「安心」のために1ミリシーベルト以上の地域を立入禁止にし、数十万人の生活が破壊された。
こういう錯覚が生まれたのは、人々が直接にコストを負担しないからだ。福島ではコストを負担するのは東電だからただ乗りできる、と国民も政治家も考えた(実際にはその国民負担は膨大だが)。
だが今回は、人々が毎日の生活の中で、自粛や休業の大きなコストを負担している。当初「命を守るためには多少の不便はしょうがない」と思っていた人も、これ以上自粛が続くことには耐えられなくなってきた。
このような費用と効果のトレードオフを意識することが、ゼロリスク症候群から脱却する上で重要だ、というのが福島で日本人が学んだ教訓である。
関連記事
-
IPCCの報告がこの8月に出た。これは第1部会報告と呼ばれるもので、地球温暖化の科学的知見についてまとめたものだ。何度かに分けて、気になった論点をまとめてゆこう。 IPCC報告を見ると、産業革命前(1850年より前)は、
-
G7エルマウサミット開幕 岸田総理がドイツ・エルマウで開催されるG7サミットに出発した。ウクライナ問題、エネルギー・食糧品価格高騰等が主要なアジェンダになる。エネルギー・温暖化問題については5月26〜27日のG7気候・エ
-
非常によいニュースとしては、ソフトウェアのシミュレーション能力がこれまでにないほど、劇的に向上しているということがあります。私たちは旧型の原子炉を前にしても、それに対してハリケーン、火山噴火、津波、 その他あらゆる種類の極限状況を含めて徹底的にシミュレーションを行えます。そして起こりうる事態の経過についてより適切に予想することができます。
-
バイデン大統領は1.5℃を超える地球温暖化は「唯一最大の、人類の存亡に関わる、核戦争よりも重大な」危機であるという発言をしている。米誌ブライトバートが報じている。 同記事に出ている調査結果を見ると「人類存亡の危機」という
-
遠藤誉氏のホームページで知ったのだが、10月14日に実施された中国の軍事演習の狙いは台湾の「エネルギー封鎖」であった。中国環球時報に国防大学の軍事専門家が述べたとのことだ。 「連合利剣-2024B」演習は台湾島の主要港の
-
シナリオプランニングは主に企業の経営戦略検討のための手法で、シェルのシナリオチームが“本家筋”だ。筆者は1991年から95年までここで働き、その後もこのチームとの仕事が続いた。 筆者は気候変動問題には浅学だが、シナリオプ
-
ガソリン価格が1リットル170円を上回り、政府は価格をおさえるために石油元売りに補助金を出すことを決めました。他方で政府は、脱炭素化で化石燃料の消費を減らす方針です。これはいったいどうなってるんでしょうか。 レギュラーガ
-
昨年12月にドバイで開催されたCOP28であるが、筆者も産業界のミッションの一員として現地に入り、国際交渉の様子をフォローしながら、会場内で行われた多くのイベントに出席・登壇しつつ、様々な国の産業界の方々と意見交換する機
動画
アクセスランキング
- 24時間
- 週間
- 月間