2050年ネットゼロエミッションとは何を意味するのか
パリ協定は産業革命以降の温度上昇を1.5度~2度以内に抑えることを目的とし、今世紀後半のできるだけ早い時期に世界全体でネットゼロエミッションを目指すとしている。
ところが昨年10月にIPCCの1.5度特別報告書が出され、1.5度を目指すのであれば2050年頃にネットゼロエミッションを実現する必要があり、そのためには2030年に現状比で45%削減が必要であるとの削減経路が示されて以降、環境関係者の間では1.5度目標と2050年ゼロエミッションがデファクトスタンダードになった感がある。
グレタ・トウーンベリ現象や欧州議会における環境政党の躍進はこれに拍車をかけ、フォンデアライエン欧州委員長は2050年カーボンニュートラルを含む欧州グリーンディールを掲げ、英国やフランスでは2050年ネットゼロエミッションを法律に書き込んでいる。
米国においても来年の大統領選を目指し、民主党候補者は環境政策の野心の高さを競っている。ジョー・バイデンの2050年ネットゼロは最も穏当な部類でバーニー・サンダースに到っては2030年71%削減を掲げている。
パリ協定は先進国だけが義務を負って途上国は義務を負わない二分法を克服し、全ての国が国情に応じて目標を設定する現実的なボトムアップの枠組みとなった。しかも京都議定書のように目標に法的拘束力を持たせないことから、米国や中国を含む全ての国の参加が可能となった。
他方、この特質は実現可能性をきちんと精査せず、格好の良い目標を競う美人コンテスト的な現象を生むことになった。既に京都議定書時代からこうした傾向はあり、ケンブリッジ大のグウィン・プリンズ教授、オックスフォード大のスティーブン・レイナー教授は皮肉をこめて「約束の競り売り(auction of promises)」と呼んでいたが、パリ協定も同じ道を歩みつつある。
9月の国連気候行動サミットで現行のNDCを引き上げる、2050年ネットゼロエミッションを掲げる国々が特筆大書されたのもその一環であり、これに名を連ねない国々は環境関係者にとって「けしからん国々」ということになる。
しかしこうした威勢の良い議論において2050年ネットゼロエミッションというものの実現可能性がどの程度精査されているのだろうか。コロラド大学のロジャー・ピルキー教授が「2050年ネットゼロエミッションのためには毎日原発を1基新設することが必要」との興味深い記事を書いている。
彼の計算は以下のようなものである。
- BPエネルギー統計によれば、2018年の世界の化石燃料消費量は117億石油換算トン。これに伴うCO2排出量は337億トン。
- IEAの世界エネルギー見通しでは世界のエネルギー需要は2040年まで年率1.25%増加する。これを2050年まで伸ばせば化石燃料消費量は58億石油換算トン増加する。
- 2050年1月1日まで残された日数は11,051日なので、化石燃料消費ゼロ=ゼロエミッションを達成するためには、毎日約1.6石油換算百万トン(=(11700+5800)÷11051)の化石燃料消費節減が必要となる。なお、ピルキー教授は現時点で確立された技術の無いネガティブエミッション(BECCS等)は計算に入れていない。
- フロリダにあるTurkish Point 原子力発電所が年間に生み出すエネルギーが年間約1.0石油換算百万トンであるから、毎日1.6石油換算百万トンを削減するためには、今すぐ、2050年にいたるまで世界でTurkish Point 級の原発を2日で3基新設する一方、毎日、1.6石油換算百万トン分の化石燃料火力、化石燃料消費を削減する必要がある。
- これを風力で実現しようとすれば、5MW級の風力を2050年まで毎日1500基増設することが必要になる。そのためには毎日780平方キロのスペースが新たに必要になる。
- グレタ・トウーンベリやグリーンニューディールの人々が主張するような2030年ネットゼロエミッションを実現しようとすれば、毎日4基の原発新設が必要となる。
3日で2基の原発新設、もしくは毎日2.5MW級の風車の1500基新設を2050年までが実現可能性があるとはとても思えない。これは単純な算術計算であり、化石燃料が世界経済を支える多くの工業製品の原料となっていること、既存の電源を新たな電源にリプレースすることが容易ではないこと等の現実的な制約は一切捨象している。したがってハードルはもっと高いことになる。
欧米の政治家や環境活動家がこういう点に頬かむりをして「2050年カーボンニュートラル」をおまじないのように唱えている現状を考えると、こうした単純化した計算であっても2050年ネットゼロエミッションのマグニチュードを理解することがますます必要になっていると思う。
政治家というものは長期の目標であればあるほど耳に心地よい絵空事を描きたがる。その目標の達成年次が来る頃には自分たちは責任ある地位にはいないとでも思っているのかもしれない。しかし、そういう乗りで設定された目標は単なる「あらまほしき姿」にとどまらない。
そこから逆算(バックキャスト)して中期、短期のエネルギー構成、CO2目標を設定しようという動きが必ず生ずる。その行き着く先は、COPの世界とエネルギーをめぐる足元の現実との矛盾の露呈と苦い失望感である。
その矛盾をブリッジできるとしたら新たな技術的解決しかない。しかもその技術は低廉で世界中に展開できるものでなければならない。政治家の良い格好しいの削減目標、削減スケジュールよりもそうした技術のパフォーマンス、コスト目標を設定するほうがよほどまともである。

関連記事
-
はじめに 12月15日閉幕したCOP24では2020年に始動する「パリ協定」の実施指針(ルールブック)が採択された。 我が国はCO2排出量削減には比較的冷淡だ。例えば、燃料の異なる発電所を比較検討した最新のデータ、201
-
眞鍋叔郎氏がノーベル物理学賞を受賞した。祝賀ムードの中、すでに様々な意見が出ているが、あまり知られていないものを紹介しよう。 今回のノーベル物理学賞を猛烈に批判しているのはチェコ人の素粒子物理学者ルボシュ・モトルである。
-
2023年は、気候学にとって特別な年であった。世界各地の地上気象観測地点で、過去に比べて年平均気温が大幅に上昇したからである。 ところが残念なことに、科学者はこの異常昇温を事前に予測することができなかった。 CO2などに
-
台風19号の被害は、14日までに全国で死者46人だという。気象庁が今回とほぼ同じ規模で同じコースだとして警戒を呼びかけていた1958年の狩野川台風の死者・行方不明は1269人。それに比べると台風の被害は劇的に減った。 こ
-
7月17日のウォール・ストリート・ジャーナルに「西側諸国の気候政策の大失敗―ユートピア的なエネルギーの夢想が経済と安全保障上のダメージをもたらしているー」という社説を掲載した。筆者が日頃考え、問題提起していることと非常に
-
令和2年版の防災白書には「気候変動×防災」という特集が組まれており、それを見たメディアが「地球温暖化によって、過去30年に大雨の日数が1.7倍になり、水害が激甚化した」としばしば書いている。 だがこれはフェイクニュースで
-
地球温暖化による海面上昇ということが言われている。 だが伊豆半島についての産業総合研究所らの調査では、地盤が隆起してきたので、相対的に言って海面は下降してきたことが示された。 プレスリリースに詳しい説明がある。 大正関東
-
日本各地の火山が噴火を続けている。14年9月の木曽の御嶽山に続き、今年6月に鹿児島県の口之永良部島、群馬県の浅間山が噴火した。鳴動がどこまで続くか心配だ。火山は噴火による直接の災害だけではない。その噴煙や拡散する粒子が多い場合に太陽光を遮り、気温を下げることがある。
動画
アクセスランキング
- 24時間
- 週間
- 月間