トランプ政権のパリ協定離脱に思う
トランプ大統領のパリ協定離脱演説
6月1日現地時間午後3時、トランプ大統領は米国の産業、経済、雇用に悪影響を与え、他国を有利にするものであるとの理由で、パリ協定から離脱する意向を正式に表明した。「再交渉を行い、フェアな取引ができればパリ協定か全く新しい枠組みに再加入する」と言っているものの、「他国が米国のパリ協定残留を期待するのは米国を経済的に不利にできるからであり、米国にパリ協定残留を求める国々は貿易、防衛で米国に多大なコストをかけている」とか、「パリ協定離脱は米国の主権であり、外国から米国経済についてとやかく言われるべきではない。自分を選んだのはピッツバーグ等の米国市民であり、パリの市民ではない」といった物言いは、トランプ大統領のあからさまな「米国第一主義」が前面に出た形である。
2000年頃から温暖化交渉に関与し、京都議定書からパリ協定に到るまでの経緯を見守ってきた筆者としては、非常に残念な思いである。パリ協定は我が国が一貫して追求してきた「全ての主要国が参加する公平で実効ある枠組み」に成り得るものであり、米国は中国と並んで欠くことのできない主要プレーヤーである。長く難しい交渉を経てようやく出来上がったパリ協定から世界第二位の排出国である米国が離脱してしまうことは、温室効果ガス削減に向けた国際的な取り組みに様々な意味でネガティブな影響を及ぼす。
パリ協定離脱派の論理
5月末のG7サミットにおいて他の6か国がパリ協定残留を真摯に働きかけ、国内においても多くの大企業が残留を求めるレターを発出したにもかかわらず、トランプ大統領が離脱を決めた背景は何か。バノン上級補佐官、プルイット環境保護庁長官をはじめとする離脱派の論理は「パリ協定キャンセルとの選挙公約を守る」、「米国の負担が中国等に比して重い」ということに加え、「パリ協定の下では目標の下方修正は認められない。現行目標を維持した場合、クリーンパワープランの見直し・撤回等、トランプ政権が進めている国内対策に対する訴訟リスクを強める」というものであった。
しかし、中国、インドに比してオバマ政権の目標が過大であり、米国経済への影響が懸念されるのであれば、パリ協定にとどまりながら目標を見直せばよい話である。「パリ協定の下で目標を下方修正できない」、「パリ協定を根拠に特定の国内対策の実施が義務付けられる」という議論はパリ協定の正しい解釈ではない。米国務省で一貫して交渉に関与してきたビニアーズ元法律顧問は「パリ協定は下方修正を含め、各国の目標見直しを禁ずるものではない。またパリ協定は自己執行力のある(self-executing)ものではないので、各国の国内対策を義務付けるものではない」と明言しており、こちらが真っ当な解釈であろう。パリ協定に残留して目標を見直すという対応を取ってほしかったと思う。
国際的取り組みへの悪影響
トランプ大統領の言う「パリ協定の再交渉、新たなディールへの交渉」が何を意味するのか、何をやりたいのかは不明であるが、いずれにせよ現実的な提案ではない。パリ協定は困難な交渉を経てまとめあげられたものであり、他国が今更パリ協定の再交渉や新たな枠組み交渉に応ずるとは思われない。事実、離脱表明発表直後に出された独、仏、伊共同声明では「再交渉するつもりはない」と明言している。
問題は現在進行中のパリ協定の詳細ルール交渉だ。米国は今後3年半、パリ協定締約国であり続けるが、パリ協定からの離脱を表明した米国が、どの程度、詳細ルール交渉に参加するか未知数である。米国の存在感が低下すれば、先進国・途上国二分論を主張する中国、インド等の発言力が強まる可能性がある。EUは中国と共に温暖化対策のリーダーシップを取るといっている。途上国に過度に甘いルールになってしまえば、将来の米国の復帰を難しくしてしまう。
米国が多国間枠組みに背を向け、温暖化対策コストの負担を拒否することとなれば、他国の取組みにも影響を与えるだろう。もとより各国は「米国の離脱にかかわらず、パリ協定の下で更に取り組みを強化する」とのポジションを堅持するに違いない。しかし米国がエネルギーコスト引き下げに走る一方、より野心的な温暖化対策によってエネルギーコストが増大すれば、米国とのエネルギーコスト格差拡大による国際競争力、経済、雇用への影響を無視できなくなる。欧州は現在でも米国とのエネルギーコスト差に悩んでおり、更なる野心レベルの引き下げにはポーランド等の東欧諸国が強く抵抗するだろう。
また米国が緑の気候基金への資金拠出を止めれば、インド等はそれを口実に取り組みを緩める可能性もある。
パリ協定からの離脱は米国の国際社会における地位にも悪影響を与える。世界最大の排出国であり、2030年ピークアウトという楽な目標を掲げた中国が「温暖化防止の国際的リーダー」を自任することとなろう。既にEUはそうやって中国をおだてあげているのには首を傾げたくなる。
米国の国際競争力への影響
他方、トランプ大統領の離脱表明に対する各界からの批判やメディアの論調を見ていると「これで米国は競争力を失い、衰退する」という議論が見られるが、これにも疑問を感じる。そもそも今回の発表はシンボリックなものではなっても国内政策については政権発足当初からやってきたことを継続するだけである。トランプ批判派が言うように「とうとうたる脱炭素化の世界的トレンドは変わらない。温暖化に熱心な州政府、自治体や大企業の取り組みも変わらない」ならば、かつてドイツのFIT制度を飯の種にして中国のPV産業が栄えたように、グローバルな事業展開を行う米企業は目ざとく低炭素化技術、製品に取り組むだろう。違いは他国ではエネルギーコストが上昇傾向にあるのに比して米国内でエネルギーコストの更なる低下が進むであろうということだ。
米国の国際的信用の低下と言う大きな代償はあるが、事業環境と言う点でいえば、結局のところ、むしろ有利になっているとも言える。もちろん米国のパリ協定離脱を理由に他国が貿易制裁や炭素関税でもやれば話は別だが、トランプ大統領相手に制裁措置を発動することは、貿易全面戦争を意味する。しかも米国の中には温暖化対策に熱心な州や企業が存在する。更に様々なサプライチェーンを経て米国からの輸出されてきた製品の炭素含有量を計算するなど技術的に不可能だ。米国産品を制裁措置や炭素関税の対象とすることは政治的、経済的、技術的にも有り得ない。米国の産業界がパリ協定残留を促すレターを出したのは、事業環境の悪化や競争力の低下を懸念するというよりも、企業としてのアリバイ作りであったと考えるほうが自然だ。
日本はどう対応すべきか
こうした中で日本はどうすべきか。米国のパリ協定離脱にかかわらず、日本がパリ協定の下で▲26%目標の達成に努力することは言うまでもない。またパリ協定の詳細ルール交渉においては、他の先進国と協力しつつ、全員参加型の公平で実効ある枠組みを作らなければならない。
米国に対してはパリ協定復帰を粘り強く働きかけるべきだ。パリ協定上の離脱通告まで2年半ある。同時に長期の温室効果ガス削減につながる革新的技術開発等における日米協力の可能性を追求すべきだ。G7サミット共同声明ではパリ協定については両論併記となったが、成長・雇用創出の観点からのクリーンテクノロジーの重要性については米国も賛成している。化石燃料のクリーン利用、CCS、原子力等、日米が協力できる分野もあるだろう。温暖化問題をめぐって米欧対立が高まった場合、「欧州と共に米国に対峙すべき」との議論が内外で生ずるかもしれないが、日本の執るべき道ではない。複雑な東アジアの地政学を考えた場合、日米同盟関係は何にもまして重要だからだ。
日本の経済、産業競争力への影響についても慎重な判断が必要だ。日本の▲26%目標も▲80%目標も米国の参加が当然の前提であり、米国のパリ協定離脱は大きな事情変更である。原子力再稼働の遅れ等で▲26%目標の前提となったエネルギーミックスの実現が難しくなった場合、その時点のエネルギー需要、エネルギーコスト等を総合勘案すると同時に、米国とのコスト差拡大も考慮に入れ、日本にとってベストの選択を考えねばならない。
トランプ政権のパリ協定離脱は16年前の京都議定書離脱を思い出させるし、「またか」という思いを禁じ得ない。しかし温暖化防止は唯一至高の政策目的ではない。レアルポリティークの世界では、様々なアジェンダとパッケージとして扱われることになる。トランプ大統領のパリ協定離脱生命の直後、EU・中国がパリ協定支持の共同声明を出すといわれていたが、貿易関係の対立が埋まらず、結局見送られた。かつてロシアは欧州から京都議定書批准を求められた際、WTO加盟への支持を条件にした。国際政治とはそういうものなのである。こういう時こそ安全保障、貿易等を含めた包括的な視点から、国益と地球益をバランスさせた冷静かつしたたかな対応をせねばならない。
関連記事
-
元静岡大学工学部化学バイオ工学科 松田 智 5月26日、参議院本会議で「2050年までの脱炭素社会の実現」を明記した改正地球温暖化対策推進法(以下「脱炭素社会法」と略記)が、全会一致で可決、成立した。全会一致と言うことは
-
国際エネルギー機関(IEA)は、毎年、主要国の電源別発電電力量を発表している。この2008年実績から、いくつかの主要国を抜粋してまとめたのが下の図だ。現在、日本人の多くが「できれば避けたいと思っている」であろう順に、下から、原子力、石炭、石油、天然ガス、水力、その他(風力、太陽光発電等)とした。また、“先進国”と“途上国”に分けたうえで、それぞれ原子力発電と石炭火力発電を加算し、依存度の高い順に左から並べた。
-
第6次エネルギー基本計画の検討が始まった。本来は夏に電源構成の数字を積み上げ、それをもとにして11月のCOP26で実現可能なCO2削減目標を出す予定だったが、気候変動サミットで菅首相が「2030年46%削減」を約束してし
-
日本の電力料金は高い、とよく言われる。実際のところどの程度の差があるのか。昨年8月に経済産業省資源エネルギー庁がHPに掲載した資料によれば、為替レート換算、購買力平価換算とも2000年時点では、日本の電力料金は住宅用・産業用とも他国と比較して非常に高かった。
-
福島第一原発の南方20キロにある楢葉町に出されていた避難指示が9月5日午前0時に解除することが原子力災害現地対策本部から発表された。楢葉町は自宅のある富岡町の隣町で、私にも帰還の希望が見えてきた。
-
きのうの言論アリーナで、諸葛さんと宇佐美さんが期せずして一致したのは、東芝問題の裏には安全保障の問題があるということだ。中国はウェスティングハウス(WH)のライセンス供与を受けてAP1000を数十基建設する予定だが、これ
-
地球温暖化の正しい測定は難しい。通常の気象観測では捉えきれない僅かな変化を、理想的な環境で100年以上観測し続ける必要あるからだ。 気象観測は世界各地で行われているが、このような分析に耐えるデータセットはまだ存在しない。
-
オーストラリアは、1998年に公営の電気事業を発電・送電・小売に分割民営化し、電力市場を導入した。ここで言う電力市場は、全ての発電・小売会社が参加を強制される、強制プールモデルと言われるものである。電気を売りたい発電事業者は、前日の12時30分までに卸電力市場に入札することが求められ、翌日の想定需要に応じて、入札価格の安い順に落札電源が決定する。このとき、最後に落札した電源の入札価格が卸電力市場価格(電力プール価格)となる。(正確に言うと、需給直前まで一旦入札した内容を変更することもできるが、その際は変更理由も付すことが求められ、公正取引委員会が事後検証を行う。)
動画
アクセスランキング
- 24時間
- 週間
- 月間