英国のEU離脱、エネルギー・気候変動対策にどのような影響を与えるのか
衝撃的な離脱派の勝利
6月24日、英国のEU残留の是非を問う国民投票において、事前の予想を覆す「離脱」との結果が出た。これが英国自身のみならず、EU、世界に大きな衝撃を与えていることは連日の報道に見られる通りである。
2011年4月から2015年8月まで英国に駐在した筆者にとっても衝撃であった。筆者の駐在中、2016年の国民投票というレールは既に敷かれており、英国内でも活発な議論があったが、日ごろコンタクトしていた学者、研究者、ビジネスマンなどはおおむね「いろいろ議論はあるけれど、変化を嫌い、バランス感覚を好む英国民は最終的には残留を選ぶ。むしろ国民投票によってずっと燻り続けてきたEU離脱論に決着をつけるのは良いこと」というコメントが多かった。これに対して世論調査では残留派と離脱派が拮抗し、離脱派がリードする局面も多々あり、その乖離に驚いた。国際都市ロンドンのエリートと話をしていただけでは英国を理解できないということだ。
同じような経験はスコットランド独立投票にも当てはまる。一時はスコットランド独立派が世論調査で残留派を上回り、国中大騒ぎとなった。結果は僅差で残留となったが、その結果、浮かび上がった教訓は「人は必ずしも理性や経済論理に従って投票するわけではない。スコットランドの英国からの独立は経済的には間違いなくマイナスだが、離脱するとこういうマイナスがあるというネガティブ面からのキャンペーンは、スコットランド独立というパッションを前面に出したキャンペーンに比べて訴求力が弱い」ということであった。
今回のEU残留・離脱論についても「EUから離脱するとこんなマイナスがある」という冷静な議論よりも「移民は国民の税金を食いつぶしている」「ブラッセルはバナナの曲がり具合まで規制している」といった事実に反するキャンペーンや「英国人の手に英国を取り戻す」といった「情熱的」な議論が勝ってしまったということなのだろう。
英国のEU離脱の影響は多岐にわたるが、本稿では本サイトのテーマであるエネルギー環境政策に焦点を絞って論点をあげてみたい。今回の結果は、英国の、そしてEUのエネルギー環境政策にどのような影響を及ぼすであろうか。既に国際環境経済研究所の山本隆三所長が原子力、自給率に着目して異なるアングルからの論考(「英国のEU離脱が変える原子力政策」を発表している。あわせてご一読願いたい。
新たな炭素予算の発表
国民投票翌週の6月30日、アンバー・ラッドエネルギー気候変動大臣は2008年に策定された気候変動法に基づいて設置された独立機関である気候変動委員会の提言を受け入れ、英国の2030年の温室効果ガス削減目標を57%と発表した。新聞報道では「これにより、国民投票によって温暖化目標が犠牲になるとの懸念を緩和した」と報じられている。(ガーディアン記事)
もともと今回の国民投票を通じての最大の焦点は移民問題であり、エネルギー環境政策は終始、争点の枠外であった。離脱派の中にはナイジェル・ファラージ英国独立党(UKIP)代表やナイジェル・ローソン元財務相のような気候変動懐疑派がいるのは事実だが、2008年気候変動法は保守党、労働党、自民党の幅広い支持で成立しており、EU離脱になったとしても気候変動法が廃止になるような事態は想定しがたい。
皮肉なことではあるが、Brexitによって英国経済にマイナスの影響が出れば、その分排出量は減ることになり、英国民が望まない形で大幅削減が容易になるかもしれない。しかし、目標達成に向けては様々なマイナス要素も考えられる。
再生可能エネルギー政策への影響
第一に、Brexitによる景気減速が高コストの再生可能エネルギー支援策へのさらなる切り込みにつながる可能性があることだ。英国において進められている再生可能エネルギー導入策の淵源は2020年までにエネルギー消費量に占める再生可能エネルギーのシェアを15%にする(電力分野では30%)というEU再生可能エネルギー指令である。
これが野放図な間接補助金の拡大につながらないよう、財務省の管轄する課金管理フレームワーク(LCF: Levy Control Framework)の下で総額管理をされてきた。保守党・自民党連立政権の時代は、クリス・ヒューン、エド・デイビーなど、グリーン志向の強い自民党出身者がエネルギー気候変動大臣として再生可能エネルギーを推進し、経済性重視、天然ガス重視のオズボーン財務大臣と対立してきた。昨年の総選挙における保守党の選挙マニフェストでは気候変動法の支持がうたわれている一方、「陸上風力のこれ以上の拡大を止める」「電力分野における歪曲的で高コストなターゲットの設定に反対」など、再生可能エネルギー支援によるコスト増にはネガティブなポジションが明らかだった。
自民党が総選挙で壊滅的敗北を喫し、保守党単独政権に移行したことにより、こうしたコスト重視の傾向が強まった。アンバー・ラッドエネルギー気候変動大臣の下で高コストの再生可能エネルギー支援策への累次の切り込みが行われてきた(拙稿「英国における再生可能エネルギー補助金カットの動き」参照)。
英国がEUから離脱すれば、EU指令の義務から外れることになる。またBrexitによって英国経済が減速すれば、逆進性の強い高コストの政策を遂行することが政治的にますます難しくなってくる。再生可能エネルギー支援策に更なる見直しが加えられる可能性も否定できない。
不透明な投資環境の影響
第二にBrexitによって外国企業にとっての英国の投資環境の不透明性が増すことだ。仮に英国が共通市場へのアクセスを失うことになれば、英国が脱炭素化の切り札と位置付ける洋上風力や新設原子力発電所のための輸入資材調達コストが上昇することになる。移民の制限により労働コストが上昇する可能性もあり、投資のための資金調達コストが上昇することも考えられる。
ナショナル・グリッド(注・半公営の送配電企業)はBrexitがエネルギー・気候変動分野の投資環境の不透明性を増大させ、英国経済に年間5億ポンドのコスト増をもたらすとの見通しを出している。英国はエネルギーを含め、老朽化するインフラ部門のリノベーションに積極的に外国企業を呼び込む戦略をとってきた。Brexitが直ちに外国企業の移転につながることはないとしても、新規投資にとっては間違いなくマイナス要因であり、投資決定済み案件についてもより慎重にことを運ばねばならなくなる。2020年以降、深刻な電源設備不足が懸念される英国にとって決して良い材料ではない。
エネルギーミックスへの影響
第三に仮に投資環境の不明確さ等によりヒンクリーポイントをはじめとする原発新設プロジェクトに遅れが生じた場合、電力不足を補うため、2025年までに閉鎖が予定されている石炭火力発電所の一部について運転期間延長が行われる可能性も排除できない。
もともと英国で予定されている石炭火力発電所閉鎖はEU指令に基づくものであり、EUから離脱すれば、その制約がなくなるからである。特にBrexitによって英国経済が減速したり、不明確な投資環境によって製造業が海外に生産拠点を移す等の事態が現実の脅威となってくれば、国際競争力確保のため、エネルギーコストを低下させるとの理由で石炭火力を使おうという議論が生ずることは十分考えられる。
英国の「国のかたち」の変化?
第四の問題はBrexitが引き金となって英国という「国のかたち」が変わってしまう可能性も排除できないことだ。今回の国民投票の結果を受けて早速スコットランド国民党のスタージョン党首はスコットランドがEUに残留できるよう、再度、スコットランド独立の住民投票を行うとの姿勢を打ち出している。北アイルランドでは南北アイルランドの独立をかかげる声も出てきている。グレート・ブリテンがリトル・イングランドになってしまったら、英国全体を前提に考えてきたエネルギー環境政策や温暖化目標自体が再検討を強いられることになるだろう。例えば豊富な洋上風力ポテンシャルを有し、2020年までに全発電電力量を再生可能エネルギーでとの目標を掲げるスコットランドが英国から離脱することになれば、残ったイングランドは2030年57%減どころではなくなる。
以上、述べてきたようにEU全体の40%削減目標を大幅に上回る57%削減目標を自ら掲げながら、Brexitはその達成見通しを非常に不透明なものにしている。
EUの40%目標への影響
次にEUの温暖化対策への影響はどうなるかを考えてみよう。2015年にEUは「2030年までに90年比で少なくとも40%削減」という目標に合意し、条約事務局に提出をしたが、この目標を合意するに当たっては、ポーランドをはじめとする東欧諸国の強い反対を克服せねばならなかった。その結果、東欧諸国のように一人当たりGDPがEU平均の60%を下回っている国々には非ETSセクターの国別割り当ての際に特段の配慮をすること、換言すれば英国、ドイツ、フランス、北欧等の西欧諸国がその分の負担を引き受けることとの妥協が図られたのである。
英国がEUから離脱すれば、こうした負担分担にも影響を与えることになる。2030年までに90年比57%減を掲げる英国を除いた27か国で90年比40%を達成しようとすれば、残された国々の負担はそれだけ増大することになる。
ただしパリ協定第4条第16項には締約国が共同で目標を達成することを認める規定がある。「英国と英国離脱後のEUとが共同で40%目標を達成することに合意する」という形にすれば、負担分担の見直しという混乱は避けられる。英国はもともと40%目標を決める際、50%減というより野心的な目標を主張していた。このため、自らの離脱によるEUの温暖化目標への影響を最小限にしようとする可能性は高い。ただこの場合であっても英国の抜けたあとのEUの目標は40%からの見直しが必要となる。第16項では合意に参加した「各締約国」(すなわち英国と英国離脱後のEU)の排出削減目標を事務局に提出することが求められているからである。
パリ協定発効への影響
英国のEU離脱がパリ協定発効に与える影響は思ったほど大きくないと思われる。もともとEUのパリ協定批准は域内の国別割り当ての合意形成に時間を要するため、2017年にずれ込むと見込まれていた。環境関係者の中には、英国はEUから離脱することで域内の合意形成を待たずに単独で批准できるのだから、キャメロン政権の間に批准をすべきだとの声がある。
米国、中国、カナダ、メキシコ などは2016年中の批准を誓約しており、Climate Analytics は2016年末までに世界の排出量の53%を占める50か国の批准が見込まれると見通している。英国の排出量は世界の1%程度であるが、英国が批准すればパリ協定の発効という点では、1%分だけでも前に進むとの見方もできる。他方、離脱手続きが終わるまでは英国はEUの一員なのであり、単独で批准できるのかという論点もある。いずれにせよ、Brexitによってパリ協定の発効が座礁するとは考えにくい。
EU域内での今後の温暖化議論への影響
EUの目標やパリ協定への影響は何らかの形でマネージが可能であると考えられるが、Brexitが今後のEU域内のエネルギー温暖化対策に関する議論に与える影響は決して小さくないだろう。
上述のようにEU域内で野心的な目標を主張する英国、ドイツ、フランス、北欧等の西欧諸国と石炭依存が高く野心的な目標に消極的なポーランド等の東欧諸国はしばしば対立関係にあった。こうした中で、英国が離脱することはEU域内での「野心派」の力が相対的に弱まり、ポーランド等の発言力が相対的に強まることを意味する。例えばEUが今後、パリ協定に基づき、40%目標を引き上げようとしても、これまで以上に合意形成が困難になる可能性が高い。
また英国はEU域内においてEU-ETS推進のチャンピオン的存在であった。EUの気候変動・エネルギーパッケージを議論する際、英国は「排出量目標一本があれば十分であり、2020年時のような再生可能エネルギー目標や省エネルギー目標は不要」と主張し、再エネ目標や省エネ目標も必要というドイツ、フランス等と対立した。余剰クレジットの蓄積により機能不全を起こしているEU-ETSの立て直しのために案出された「市場安定化リザーブ(MSR)」を欧州委員会提案の2021年導入ではなく、2017年から前倒しで導入すべきとの議論を主導したのも英国である。
市場原理主義的な英国の離脱は、補助金・規制を重視するドイツ、フランスの相対的発言権を高めることになり、EU内での議論のベクトルにも影響を与える可能性がある。もちろん、英国はノルウェーと同じようにEU-ETSに参加しようとするはずだ。しかしEU加盟国でなくなれば、MSR導入後のEU-ETSのパフォーマンス評価、更なる見直しといった議論には参加できなくなり、EU-ETS強化のための推進力が相対的に弱体化することは避けられないだろう。
温暖化アジェンダのプライオリティ低下の可能性
さらに言えば、Brexitによって英国、EU双方における温暖化対策のプライオリティが少なくとも当面は低下せざるを得ないと思われる。英国にとってはBrexitが共通市場へのアクセスや対英投資にマイナスの影響を与えないような形で欧州委員会と交渉を行うことが当面最大の課題となる。その際、今回のEU離脱の最大の誘因となった移民等の「人の移動の自由」をどうするのかが争点となろう。
そうした中で温暖化対策のプライオリティは政府、国民いずれの間でも低下することは不可避だと思われる。もちろん、誰が次の首相になるかも大きな要素だ。候補として名乗りをあげている中で、離脱派のマイケル・ゴーヴ司法大臣、リアム・フォックス防衛大臣、残留派のテリーザ・メイ内務大臣いずれも温暖化問題に熱心だという話は聞かない。マイケル・ゴーヴは教育大臣時代に気候変動を教育カリキュラムから削除しようとしたとの理由で環境NGOから批判されている。Climate Change Newsは「誰が首相になってもキャメロン首相が2006年に行ったように北極でハスキー犬を抱きしめるようなことはしないだろう」としている。
BrexitはEUの政治・経済全体にも様々なマイナスの影響をもたらす恐れが高い。英国の国民投票の結果に意を強くしている反EU政党は欧州各国に存在し、第2、第3の英国が出てくる可能性は排除できない。EUにとっては英国との離脱交渉を行いつつ、残された27か国の政治的・経済的結束強化と更なる離脱国出現の防止に腐心せねばならない。このような状況の下ではブラッセルの権限が強い温暖化対策を強力に進めにくくなるであろう。一言でいえば、英国にとってもEUにとっても「温暖化対策どころではない」状況が現出しつつあるのである。
以上が国民投票後1週間時点での筆者の見立てである。もとより、英国の次の首相が誰になるか、離脱交渉がいつ、どのように進められるのか等、不確定要素はあまりにも多い。はなはだ役所的な表現だが、「今後の動向を注視してまいりたい」ということであろう。
(2016年7月12日掲載)
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