原子力規制庁人事の闇-キャリア逃亡、“戦犯”復活
原子力規制庁の人事がおかしい。規制部門の課長クラスである耐震・津波担当の管理官が空席になり、定年退職後に再雇用されたノンキャリアの技官が仕事を担うことになった。規制庁は人員不足による特例人事と説明している。
ところが、このポストは原子炉の活断層判定問題という、こじれて混乱し電力会社が行政訴訟に訴えかねない難題を抱える。前任のキャリア官僚は1年で退任しIAEAに転籍した。しかも後任の担当者はノンキャリアで東京電力の福島第一原発事故前に規制行政で津波問題を担当しており、事故の“戦犯”とも言える人物だ。異様な人事を行う規制庁の活動に、関係者の不信が募る。
個人攻撃の意図はないが、原子力規制行政全体のおかしさを示す例として紹介したい。国家公務員制度における「キャリア」(公務員1種試験を通り「有資格者」という意味、幹部がこのグループから出る)と「ノンキャリア」(専門職など)という言葉は、差別的な響きがあり好きではないが、今回は問題を表現するために使う。
一度定年のノンキャリアの復活人事
原子力規制庁では原子炉規制を担当する規制部長の下に7人の課長級の管理官を置くことになっている。耐震・津波担当の管理官は、2015年4月からM氏という、40代の技官キャリアだった。ところが今年4月にM氏は後任空席のまま、IAEA(国際原子力機関)に転じた。この部門に勤めていた別キャリアも外れた。通常2−3年勤める課長が1年で交代するのは異例だ。
規制庁は15年3月まで、このポストにいた定年退職者の小林勝氏を再雇用。一度青森の規制担当にした後で、今年4月に新設の耐震等規制総括官に任命した。これは総務と組織管理を担う規制庁長官官房という別組織の管理職だ。そして規制部の耐震・津波担当の管理官は空席だ。そのまま小林氏に耐震・津波担当の業務をさせようとしている。
各行政組織はその設置法に職分と定員が記されており、規制庁も当然そうだ。同庁は組織内規則を変えたという。しかしこれは法律上では違法かもしれないグレーゾーンの行為だ。
小林氏は経産省に採用されたノンキャリアの土木専攻の技官で、原子力の規制担当が長かった。そして規制庁の12年の発足から15年3月まで耐震・津波担当の管理官だった。当時の島﨑邦彦規制委員会委員、現任である桜田道夫規制部長の指揮の下で実務を担った。
規制庁と原子力事業者との対話は公開されている。それを映像で見ると小林管理官の担当する審査は頻繁に混乱し、ある会合の終了後には記者の前で事業者に激高していた。率直に言って、私は彼の行政官としての能力に疑問を持っている。さらに小林氏は文章を改竄した疑惑も出ている。(筆者記事「原子力規制委員会、敦賀原発審査の闇−文書改ざん、メール削除、違法行為の疑い」)電力会社など規制を受ける人の評価はそろって低い。
キャリアはIAEAに転籍、逃亡か?
規制庁の活断層審査の混乱は続く。有識者会議が日本原電敦賀、東北電力東通、北陸電力志賀の各原発の敷地内に活断層が否定できないとこれまで報告した。これは原発の廃炉をもたらしかねず、各電力会社が猛反発している。(参考・池田信夫氏「立憲主義に反する志賀原発の死刑宣告」)また各電力会社のプラント審査が大変遅れている。これは工事の基準になる基準地震動の設定が遅れたためだ。これらの決定に小林氏はかかわった。
もちろん一連の混乱の責任は、暴走した退任の島﨑規制委員、それを追認した田中俊一規制委員長、また原子炉審査の責任者であるキャリアの桜田規制部長にある。しかし、この小林氏は議事進行や決定にかかわり責任の一部を負う人だ。
活断層をめぐって電力会社は、原子炉を守るために行政訴訟に動くだろう。関係筋によれば、小林氏の後任管理官のM氏は後始末に頭を抱えていたとされる。行政訴訟となれば、それにかかわれば行政官として経歴は終わる。キャリアのM氏は、ほとんど新しい対策を打ち出さず、IAEAの公募ポストに応募した。それを出身官庁である経産省の技官グループが後押しし、IAEAに採用されたという。状況から見ると、逃げ出したとしか思えない。
12年に新設された原子力規制委員会・規制庁の役人は、他省庁から出向する場合には、その出身官庁へ戻らないルールを政治が設けようとした。しかし原子力問題は社会的批判を集め、「規制庁は勤務先として人気がない」(経産省幹部)という。結局、キャリアなどは元の官庁に戻れることになった。経産省はキャリアのM氏を救い、危ない仕事をノンキャリアの定年退職者である小林氏に押しつけたようだ。日本の官僚組織によくある無責任さ、人事上の嫌らしさをかんじる。
福島事故の津波担当者が規制庁で津波担当に
さらに小林氏は過去に問題を起こしている。小林氏は東京電力福島第一事故の際に、事故原因となった津波について規制の担当者だった。2008年から11年まで、経産省原子力安全・保安院の原子力発電安全審査課耐震安全審査室長だった。
小林氏は当時のN安全審査課長(技官キャリア、現在退官)に「余計なことを言うな」と圧力を受け、津波の対策を積極的に行わなかったと証言している。これは事実なのか、責任逃れをしているのか分からないが、彼こそが行政の失敗の中心的な人物であった。事故の責任はもちろん東電が第一義的に負うべきものの、小林氏が適切に行動すれば事故は避けられた可能性があった。(政府事故調査報告書ヒアリング記録「原子力・安全保安院による東電の想定津波波高の算出結果等の対応について」、「東京電力の津波対策に対する原子力安全・保安院の対応について」)(東京新聞14年12月26日記事「津波対策「関わるとクビ」10年保安院内部で圧力」)
過去に失敗した小林氏が、規制行政で再び同じ津波と耐震を担当している。もちろん失敗を改め反省すればいいが、小林氏本人からその反省はうかがえない。「福島事故を繰り返さない」と表明する規制庁も、この人事について説明をしていない。これは不信を増しかねないだろう。
危ない仕事はノンキャリアに?
原子力規制庁は約380人で発足したが、現在約1000人まで人員を増やした。それでも人が不足し、審査が遅れて原発の再稼動も進まない。建前で規制庁は小林氏の再任を人手不足ための再雇用としているが、組織の人事には裏の目的があるのが常だ。福島事故の〝戦犯〟といえる立場の人に責任を負わせ、キャリアらは訴訟リスクを負わされることを恐れて逃げているとしか、思えない人事だ。
この人事には小林氏個人の問題ではなく、原子力規制庁全体や上部監督組織の原子力規制委員会のおかしさがあらわれているように思える。そして経産省は原発再稼動という重要問題からは逃げているのに、出身のキャリアだけを救う小細工をする。同省の官僚の無責任さもあらわれている。
この人事は小さなものものだが、原子力規制行政の全体の病んだ姿を示しているように思う。
(2016年5月9日掲載)
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