COP21パリ協定とその評価(下)-日本の対応
(上)より続く。
1・全ての国が参加する枠組みの成立
何よりもまず、一部の先進国のみが義務を負う京都議定書に代わり、全ての国が温室効果ガス排出削減、抑制に取り組む枠組みが出来上がったことは大きな歴史的意義がある。これは京都議定書以降の国際交渉において日本が一貫して主張してきた方向性であり、それがようやく実現したわけである。
2・ボトムアップ型のプレッジ&レビュー
パリ協定の中核をなすのは、先進国、途上国が約束草案を持ち寄り、その進捗状況を報告し、専門家によるレビューを受けるというボトムアップのプレッジ&レビューの枠組みである。目標値の達成自体は法的義務とはなっていないことをもってパリ協定の実効性に疑問を持つ論者もいるかもしれない。
しかし、目標達成を法的義務化すれば、制度そのものは堅牢なものとなっても、米国や新興国の参加の得られない実効性の乏しいものになってしまう。プレッジ&レビューは全ての主要国の参加を得るための唯一の解であった。日本は既に気候変動枠組条約交渉時からプレッジ&レビューの枠組みを提唱してきた。
しかしその後の国際交渉の流れは先進国のみに目標達成を義務付けるトップダウン型の京都議定書に向かったが、18年目にしてようやく「落ち着くところに落ち着いた」とも言える。
ただし、プレッジ&レビューの実効性は今後策定される実施細則に左右される。透明性フレームワークには多くの途上国配慮条項が盛り込まれており、専ら先進国の緩和努力や支援実績、予定に偏重したものになったり、大排出途上国にとって「大甘」のものとなったりしてしまえば、地球全体の温室効果ガス削減に向けた枠組みの実効性を大きく損なうことになる。
プレッジ&レビューを対立的、懲罰的なものではなく、協力的、建設的な雰囲気のものにすることも重要だ。日本は国内で経団連自主行動計画や低炭素社会行動計画というプレッジ&レビューの経験を豊富に有しており、実効性があり、持続可能な枠組み構築に向けて知見を共有していくべきであろう。
3・全体としてはやや途上国寄り
パリ協定は温暖化交渉の歴史上、大きな意義を有しているが、先進国のみが義務を負う京都議定書体制から途上国を含む全員参加型の体制に移行するためには、いろいろな代償を払わねばならなかったのも事実である。
資金援助の規定では多くの面で途上国の主張を受け入れ、透明性の規定についても、先進国と途上国が「一つの強化された透明性フレームワーク」に参加する形としながらも、途上国配慮が随所に盛り込まれることとなった。
パリ協定全体を俯瞰すれば、やや途上国寄りの決着であったと言えよう。逆に言えば、これくらいの代償を払わなければパリ協定合意は不可能だったということであり、是が非でも合意を得たい議長国フランスや、オバマ大統領のレガシーを残したい米国の「弱み」を途上国が利用したとも言えよう。
4・非現実的な温度目標は将来の火種に
環境NGOや島嶼国は1.5℃安定化が努力目標として温度目標に書き込まれたこと等を「パリ協定最大の成果」として喧伝している。筆者はこの点がパリ協定最大の問題点であると考える。
そもそも2℃目標ですら、その実現可能性は極めて厳しい。IPCC第5次評価報告書においては、2℃目標に相当するとされる450ppmシナリオを達成するためには2100年までに発電部門においてバイオマスCCSを大量導入することにより現在の発電部門の排出量をそのままマイナスにしたような規模のマイナス排出にするという、およそ実現性に疑問符のつくビジョンが提示されている。
さらに1.5℃あるいは350ppmシナリオとなれば「推して知るべし」であろう。温暖化防止のために志を高く持つことは良い。しかし、既存の温度目標の実現可能性すら厳しい中で、更に厳しい温度目標を設定するというのでは、結局のところ枠組み自体のクレディビリティを下げるだけではないか。
パリ協定では5年ごとのグローバルストックテークを通じて1.5℃~2℃目標や今世紀後半の排出・吸収バランス目標と、各国の緩和努力、緩和目標の合計とが比較され、それが各国のNDCにフィードバックされるとの設計がなされている。両者がいずれ収斂することを企図したものだが、問題はトップダウンの目標とボトムアップの各国目標の積み上げは永遠に交わらないだろうということだ。
2015年10月末、条約事務局は各国の約束草案の合計値と2℃目標に必要な排出削減パスを比較して2030年時点で150億トンものギャップがあるという分析を提示した。150億トンというギャップは2010年時点の中国全体の排出量の1.5倍に相当する膨大なものである。
2018年にはCOP決定に基づきIPCCが1.5℃達成に必要な排出削減パスの特別レポートを提示するが、ギャップの幅は150億トンを大幅に上回るだろう(注;なお、2℃、1.5℃目標を排出削減パスに「翻訳」するに当たって、気候感度(産業革命以降の温室効果ガス濃度が倍増した場合の温度上昇幅)の不確実性があることを忘れてはならない。この点についてはIPCCでも意見が収斂しておらず、1.5℃~4.5℃まで幅がある。IPCCにおける更なる科学的知見の蓄積を促進すると共に、ギャップ論に対しては気候感度の不確実性を指摘する必要があろう)。
各国はその膨大なギャップを埋めるために皆で負担を分担して2℃あるいは1.5℃目標が達成できるレベルまで約束草案を引き上げるとは思えない。各国の政策は温暖化対策だけで動いているわけではなく、その時々の経済情勢、雇用情勢、エネルギー情勢等を総合勘案して目標値を策定しているからだ。国連プロセスが非現実的な温度目標を設定したことは、逆説的ではあるが国連プロセスでは温暖化問題は解決できないということを明示する結果となるだろう。
それでは如何にして膨大なギャップを埋めるのか。答えはイノベーションしか有り得ない。パリ協定の技術開発・移転(第10条)の中でイノベーションの重要性が明記されたことは大きな成果だ。他方、イノベーションは国連交渉の場からは決して生まれてこない。イノベーション力を有する国の官民の努力および有志国による国際連携によって初めて可能となる。技術力を有する日本は、この分野で大きな貢献をすることが期待される。
5・米国の動向を注視すべき
COP21では米国の積極姿勢が目立ったが、それが将来の米国の参加リスクにつながっていることも忘れてはならない。もともとオバマ大統領の温暖化対策に批判的であった議会共和党はパリ協定にも極めて批判的である。もとよりオバマ政権はそれを十分承知の上で議会の承認を要さないぎりぎりのラインで合意をまとめているので、2016年中の早い段階で行政協定としてパリ協定を承認することになるだろう。
問題はオバマ政権がレガシーを賭けて種々の妥協の末に取り付けた合意が、国内で支持されるのかどうかだ。オバマ政権の温暖化対策の目玉とも言うべきクリーンパワープランについても多くの訴訟が提起されている。更に再来年に誕生する米国新政権がパリ協定及びパリ協定に向けて米国が提出した目標をきちんと実施するのかも見極める必要があろう。
約束草案の実現に向け、原発再稼働を
今回、1.5℃目標が追記されたことを踏まえ、早速、「日本も中期目標を見直すべき」という議論が環境NGO等から提起されている。しかし、2013年比で2030年26%削減という目標は、省エネ、原子力、再生可能エネルギーいずれの面でも非常にハードルの高い目標である。目標引き上げを云々する前にやるべきことは、現在の目標を着実に実現することであり、そのカギとなるのは安全性の確認された原発の着実な再稼働と運転期間の延長だ。
電力コストを現在のレベルよりも引き下げるという要請を満たすためには、再生可能エネルギーの拡大に伴う負担増を、原発再稼働等による化石燃料輸入コストの節約分で吸収していくしかない。昨今の石炭火力発電所新設計画の増大も元をたどれば安価なベースロード電源である原発再稼働の見通しの不透明性が原因だ。
世論調査では原発再稼働に否定的な意見が多く、再稼働実現には並々ならぬ政治キャピタルを要する。しかし日本が真剣に26%目標を達成するつもりなのであれば、これを避けては通れない。パリ協定が合意され、各国が約束草案の実現に乗り出す以上、政府は「日本の目標達成のためには原発再稼働が不可欠である」という疑いのない事実を辛抱強く国民に説明し、理解を得る努力をしなければならない。更には電力自由化の下で既存原発のリプレースを可能にするような政策環境の整備についても検討を早急に開始すべきだろう。
(2016年1月25日掲載)
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