帰還される方々に知っていただきたい5つのこと【復興進む福島1】
福島の原発事故から4年半がたちました。帰還困難区域の解除に伴い、多くの住民の方が今、ご自宅に戻るか戻らないか、という決断を迫られています。
「本当に戻って大丈夫なのか」
「戻ったら何に気を付ければよいのか」
という不安の声もよく聞かれます。
福島県に努める医師としてこの帰還問題を眺めた時、まず、帰還する・しないという選択は、何の為に、誰の為にあるのか、という事を考えていただきたいと思います。帰還は国益の為でも地域振興のためでもありません。決断を下された1人1人の方が、その決断によって健康にならなければ意味がないのではないでしょうか。
帰還を決められた方、迷われている方が、今後放射能を正しく恐れ、正しく避け、そしてより健康になっていただくために、健康を守る医師という立場から考えていただきたいことが5つあります。

1.100ミリシーベルトは、がんに「ならない」値ではない。
「100ミリシーベルト以下だとがんにならない、って聞いたんだけど、本当?」
放射線の説明会で、時折聞かれる質問です。
放射能とがんの関係について、今一般的に採択されているのは、「しきい値なし仮説no-threshold model」、すなわち放射線被ばく量が低ければ低いほど発がんリスクは低くなる(図1)、という説です。
そういう意味で、先述のご質問への回答は「いいえ」です。正確に言えば、100ミリシーベルトはがんに「ならない」値ではありません。
「100ミリシーベルト以下でもがんのリスクは上がるかもしれないが、そのリスクを証明することは難しい」という値です。

2.ゼロミリシーベルトは「健康になれる値」ではない。
ではなぜ100ミリシーベルト以下は大丈夫、という話が出てきてしまうのでしょうか。これは、私たちが日々さらされている、放射線以外の発がんリスクがあまりに多い、ということにあります。
普通に生活をしている限り、私たちは発がんリスクを避けることはできません。運動不足、肥満、たばこ、食品添加物、化粧品、大気汚染、精神的ストレス、野菜の中にすら発がん物質がふくまれます。それだけでなく、がんになりやすい家系や体質、性別の差などもあります。
100ミリシーベルト以下の放射線被ばくは、このような様々な発がんリスクの「ノイズ」にかき消されてしまい、証明することが難しいのです(図2)。
裏を返せば、放射線被ばくがゼロになっても、発がんリスクはゼロにはなりません。放射能のお話しをするときに、ややもすると
「放射能さえなければ健康になれる」という健康に対する「ゼロリスク神話」が浸透する危うさを感じます。
放射線だけを考えれば、線量は低ければ低いほどよい。しかし、線量が低い地域に住んだから必ずしも健康になれるわけではない、ということは、忘れてはいけないと思います。

3.放射線を避けすぎるリスクも存在する。
それだけではありません。放射能を怖れすぎて日常生活が極端に変化すれば、それはもっと大きな健康リスクにすらつながり得ます。
たとえば、放射能を極端に避けようとすると、どのような生活を送ることになるでしょうか。外に出ない、野菜を食べない、魚を食べない、きのこを食べない…このような生活は、そのまま健康リスクへとつながります。
たとえば、あるお母さんが「福島県産の野菜が怖い」と言って、子供にファストフードのハンバーガーを食べさせていた、という話があります。
あるいは仮設住宅で、「放射能が怖くて外に出られない」といって運動不足になり、足腰の筋力が低下してしまった高齢者の方も見かけました。
最近になり、避難や長期の避難生活が、むしろ健康に害になり得る、というデータが少しずつ出てきています(1,2)。これは、避難行動・避難生活により日常生活が極端に変化してしまったことが一番の原因です。
しかし、もしこのお母さんが、
「放射能が怖いから福島県産以外の野菜を食べさせている」
のであれば、どうでしょうか。農家の方には申し訳ないけれども、お子さんの健康にとっては特に福島県産でも熊本県産でも問題はないと思います。
また、仮設住宅の方が
「放射能が怖いから体育館で運動している」
というのであれば、無理に外へ出る必要もないかもしれません。
放射線が怖い。その感覚を、無理に否定する必要も、なくす必要もありません。しかし、放射能を避けるあまり
食生活が変わる
運動量が変わる
精神的ストレスになる
ということのないよう、十分気を付けることが健康の為には重要です。
4.帰還時に気を付けるリスクは放射能ではない。
以前にも書かせていただいたことですが(3)、放射能だけにとらわれていると、どうしても他の健康リスクを見落としがちです。
たとえば、帰還に伴う健康リスクを考える上で心配なことは、交通の便です。買い物をする店が遠くなれば、その分車への依存度が高くなり運動不足になります。買いだめをすると、生鮮食品よりも保存食に偏りがちになり、野菜不足になったりもします。
また、交通の便が悪く病院へのアクセスが減れば、自然と通院される方も減り、高血圧や糖尿病が放置されることになるかもしれません。
社会的孤立も問題です。社会的な孤立や孤独は人の寿命を縮めることが知られています。また、コミュニティ力の低下は犯罪率の上昇や孤独死の増加にもつながり得ます。
このように、帰還される方は、むしろ放射能以外の健康リスクを総合的に判断する必要があると考えています。
5.帰還することで「以前より健康になる」ことは可能である。
原発事故が放射能以外にもいろいろな健康リスクを引き起こしたことは間違いありません。しかし、起きてしまったことを逆手にとり、以前よりも健康を意識し、より健康になるための生活を送ることは十分に可能だと思います。
実は福島県は、震災以前から脳卒中の発症率が全国平均と比べても非常に高い地域でした。塩分の取りすぎや冬の寒さなどが要因かもしれませんが、高い喫煙率、高血圧や糖尿病に対する住民の方々の意識が低かったことなどが挙げられると思います。
原発事故と放射能をきっかけに、生まれて初めて健康を意識された、という方は、少なからずいらっしゃると思います。健康リスクが放射能だけでないのと同様、健康になるための手段は放射能を避けることだけではありません。
これからふるさとへの帰還を考えている方の中には、諸々の事情からやむなく帰還される、そういう方もいらっしゃるかもしれません。そういう方々にこそ、「帰還したから以前より健康になる」という選択肢が残っている、という事を忘れないでいただきたいと思います。
戻るからには健康になって、この災害の顛末を最後まで見届ける。帰還される方々が皆そのような気概で戻ってきて下さればよいな、と思います。
(1)Murakami M, et al. Was the Risk from Nursing-Home Evacuation after the Fukushima Accident Higher than the Radiation Risk? (Web)
PLoS ONE 2015:10(9): e0137906.
(2)Ishii T et al. Living in Contaminated Radioactive Areas Is Not an Acute Risk Factor for Noncommunicable Disease Development: A Retrospective Observational Study. Disaster Med Public Health Prep. 2015 Sep 9:1-4. (Web, Abstract)
越智小枝(おち・さえ)1999年東京医科歯科大学医学部卒業。国保旭中央病院などの研修を終え東京医科歯科大学膠原病・リウマチ内科に入局。東京下町の都立墨東病院での臨床経験を通じて公衆衛生に興味を持ち、2011年10月よりインペリアルカレッジ・ロンドン公衆衛生大学院に進学。3.11をきっかけに災害公衆衛生に興味を持ち、相馬市の仮設健診などの活動を手伝いつつ留学先で研修を積んだ後、2013年11月より相馬中央病院勤務。剣道6段。
(2015年9月24日掲載)

関連記事
-
これは今年1月7日の動画だが、基本的な問題がわかってない人が多いので再掲しておく。いま問題になっている大規模停電の原因は、直接には福島沖地震の影響で複数の火力発電所が停止したことだが、もともと予備率(電力需要に対する供給
-
過去10年のエネルギー政策においては、京都議定書のエネルギー起源CO2排出削減の約束水準が大前提の数量制約として君臨してきたと言える。当該約束水準の下では、エネルギー政策の選択肢は「負担の大きい省エネ・新エネ」か「リスクのある原子力発電」か「海外排出権購入」かという3択であった。
-
福島第一原発の処理水問題が、今月中にようやく海洋放出で決着する見通しになった。これは科学的には自明で、少なくとも4年前には答が出ていた。「あとは首相の決断だけだ」といわれながら、結局、安倍首相は決断できなかった。それはな
-
【概要】原子力規制委員会の原子力発電所の安全審査ペースが急速に鈍化している。2016年下期に本体施設3基を許可したのをピークに、その後、期ごとの許可実績が2、2、1、0、0基と減っている。 審査している原発が無くなったの
-
気候変動を気にしているのはエリートだけだ――英国のアンケート結果を紹介しよう。 調査した会社はIpsos MORIである。 問いは、「英国で今もっとも大事なことは何か?」というもの。コロナ、経済、Brexit、医療に続い
-
「インフレ抑止法」成立の米国・脱炭素の現状 8月16日、米国のバイデン大統領は、政権の看板政策である気候変動対策を具体化する「インフレ抑止法」に署名し、同法は成立した。 この政策パッケージは、政権発足当初、気候変動対策に
-
田中 雄三 温暖化は確かに進行していると考えます。また、限りある化石燃料をいつまでも使い続けることはできませんから、再生可能エネルギーへの転換が必要と思います。しかし、日本が実質ゼロを達成するには、5つの大きな障害があり
-
3月11日に行われた日本自動車工業会の記者会見で、豊田章男会長(トヨタ自動車社長)は「今のまま2050年カーボンニュートラルが実施されると、国内で自動車は生産できなくなる」と指摘した。キーワードはライフサイクルアセスメン
動画
アクセスランキング
- 24時間
- 週間
- 月間