検証・京都議定書-「敗北」を乗り越えるために

2015年05月18日 10:00
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経済ジャーナリスト
1997年に開催された京都会議(COP3)の様子

1997年に採択された京都議定書は、主要国の中で日本だけが損をする「敗北」の面があった。2015年の現在の日本では国際制度が年末につくられるために、再び削減数値目標の議論が始まっている。「第一歩」となった協定の成立を振り返り、教訓を探る。

数値目標の設定においては、見栄えのよい大きな数字目標を他国と競うのではなく、冷静な検証と省エネ・技術という日本の強みを活かすことが必要になる。

(注・石井の著書「京都議定書は実現できるのか」(平凡社、2004年)の第一章を再構成した。)

数値目標の受け入れが「密室」で決まる

「総理がまとめたがっている」。古川貞二郎官房副長官の言葉が、議論を終わらせた。

京都会議(気候変動枠組み条約第3回締約国会議:COP3)開催前の1997年9月24日の深夜、東京・赤坂の全日空ホテルの一室でのことだ。ここで日本が温室効果ガスの削減を受け入れることが決まった。

「会議のためガス削減を世界に訴えなければならない」と外務省、環境庁(当時)の出席者は繰り返した。「経済にどのような打撃があるか……」「削減ゼロがやっとです」と、強硬な反対を続けた通産省(同)の出席者も最終的に受け入れた。

わずか10人程度の高級官僚の会合で、温室効果ガスを削減する日本の方向が決まった。このさびしい出発の姿を、負担を引き受ける私たち国民は記憶すべきではないだろうか。この会議は関係者の「記憶」の中には存在しているが、経産省、環境省に情報公開法に基づく行政文章の開示請求を行ったものの、この会合の記録はないという。

「京都議定書」とは1997年12月の京都会議で採択された国際協定で、先進国が二酸化炭素(CO2)などの温室効果ガスを削減することを決めた。始まりを検証してみよう。

日本は京都会議の議長国で、会議を成功させなければならないというプレッシャーが加わっていた。事前の国際交渉では、ヨーロッパ諸国を中心に温室効果ガスの削減を数値で決めるという考えが主張された。

それを受け外務省と環境庁が数値目標の受け入れを主張。通産省は「CO2排出を2010年までに減らすのは不可能」という予想を出して抵抗した。進まない国内調整に業を煮やした橋本龍太郎首相が自ら調整に乗り出し、この会合に結び付いた。

しかし通産省の抵抗で、内容の「骨抜き」が行われる。会議で提案された日本案では、先進国は一括して5%削減するが、日本はエネルギー効率が他国よりも良いことを強調しマイナス2.5%で抑えようとした。

「理念がまったく見えてこず、あまりにも場当たり的だ」。京都大学佐和隆光教授は、当時このように批判した。そのはずだ。官僚たちの「調整」で決まったものだからだ。衆知を集めることがなぜできなかったのかが、悔やまれる政策の決定だ。

交渉に翻弄されアメリカに同調した日本

冒頭の会議から3カ月後に開かれた京都会議(COP3)は、温室効果ガスの削減数値目標の受け入れをめぐり紛糾した。結果として、日本は2008年から12年の間に基準年(主に90年)比6%の温室効果ガスの削減をすることとなり、当初の主張以上の目標を受け入れた。なぜだろうか。その過程を探ると、「アメリカの影」が浮かび上がる。

アメリカは当初、数値目標の受け入れを拒否していた。ところがゴア副大統領(当時)が京都会議に出席し、突如受け入れに方針を転換する。

EUは当初、温室効果ガスの15%削減を主張した。それには「からくり」があった。EUは1990年代に石炭からのエネルギー源の転換を行い、化石燃料起源のCO2を減らせる国が多かった。

ドイツは旧東ドイツを91年に統合したため、旧式設備を転換するだけで温室効果ガスが削減できた。さらに東欧諸国は社会主義政権の崩壊で経済活動が停滞し、CO2の排出が減った。2005年にこれらの国はEUに加盟した。それを利用するため、EUは全体で削減目標を設定。したたかに「90年を削減基準年にする」と主張した。

発展途上国は交渉グループを作って先進国に対抗した。削減数値目標の拒否、先進国の約束の履行、技術移転と資金援助を求め、その姿勢は現在でも変わらない。中国は09年に世界最大の温室効果ガスの排出国になったが、それなのに排出抑制の制約を受けていない。

温室効果ガスの大半は化石燃料の排出によるCO2だ。そしてエネルギー使用量と経済活動はたいてい比例する。生活の豊かさを求める途上国の人々が温室効果ガスの削減数値目標を拒否する心情は理解できる。京都会議(COP3)ではブラジル外交官がこう話したという。「パーティに最後に呼ばれてコーヒーだけ飲んだのに、フルコースの代金を請求された気分です」。

各国は国益を追求したが、共通する点があった。「議定書を壊す犯人にはなりたくないと誰もが思っていた」と、会議の議長だった大木浩・元環境庁長官は振り返る。そして、それぞれ譲歩を始めた。交渉でアメリカ代表団のアイゼンシュタット国務次官が大木長官と、共同議長のエストラーダ・アルゼンチン代表の前で、マイナス7%の数値目標の受け入れを表明し。高い目標を示して、途上国の譲歩を得ようとしたらしい。

これを受けて日本代表団の内部では、大木長官、高村正彦外務副大臣(当時)が通産省のメンバーを説得。森林が吸収するCO2を削減分として計上することが認められ、それも受け入れの流れを作った。

会議最終日の12 月11日未明に代表団内部の調整を終え、大木長官は橋本首相に電話報告した。事前に大木長官は「状況によって背伸びします」と橋本首相に伝えていた。その通りの「上乗せ」となったが、橋本首相は「受け入れる」と決断した。

日米に合わせる形で、EUは8%削減に軌道修正した。主要国がまとまったことで議定書は成立した。ただし、数値目標を拒否する途上国の態度は変わらなかった。そして、数値目標に科学的根拠はなく、政治的な妥協によって決められた。

京都議定書の受け入れは「日本の敗北」

当時から見た未来である2015年から結果を振り返ってみよう。こうして成立した京都議定書だが履行したのは日本とEU諸国のみだった。アメリカのクリントン政権は議会に批准手続きを求めなかった。途上国が義務を負わないことに、国内の批判が集まったためだ。そして2001年にブッシュ大統領は議定書から離脱する。協調して高い数値目標を受け入れた日本は「はしごを外された」格好になった。カナダ、オーストラリアは、CO2を減らせないと不履行宣言をした。

当時は、先進国で5%の温室効果ガスの削減と試算されたが、アメリカが参加して議定書を守っても温暖化を6年程度遅らせるだけとの試算があった。「効果の乏しい取り組みがなぜ行われたのか」という疑問を、抱くのは当然だろう。

そして日本の産業界にも不満がくすぶった。製造業では他国に比べて省エネが進み技術力も持つのに、その強みが京都議定書では活かされなかった。EUに有利で日本に不利な「不平等条約」という批判は根強かった。経産省は京都会議の後で、削減コストの分析を行った。2004年時点で、1CO2トン当たりの削減コストは、日本が400ドル、EUが300ドル、アメリカが200ドルだ。日本は産業界のエネルギー効率がよいために追加的な温暖化対策のコストが突出して高かった。

議定書交渉の中で、日本政府はこの数字を知らなかった。「当時は削減コスト分析の大切さがよく分からなかった」と認める元政府関係者がいる。経産省の調査によれば、官僚らだけが国内調整を続けた日本と異なり、欧米諸国は研究機関と連携して、数値目標のコストと効果の分析を行った上で、交渉に反映させたという。

「私たちは科学的合理性を追求せず、京都会議に勢いだけで欧米にぶつかってしまいました。第二次世界大戦中に『B29に竹槍で立ち向かった』という日本の軍部の非合理性を笑えません」とある経産省の中堅官僚は振り返った。

日本は既に高いエネルギー効率を達成し、CO2削減の余地がわずかしかなかった。そして個人のエネルギー消費は1990年以来伸び続けてしまった。それにもかかわらず、京都議定書の削減目標を12年には達成した。それも5000億円以上の税や電気料金などを使って、官民合わせて4億トン近くの排出権を海外から購入したことによってだ。

この京都議定書の国際体制は、2009年のコペンハーゲンでのCOPで、延長が断念されてしまった。この日本だけがまじめに、この義務を果たしたのだ。地球環境のためにはなったが、日本だけが律儀に負担をした格好になっている。

京都議定書の受け入れは「日本の敗北」という面があった。

京都議定書の問題点を乗り越えるには?

京都議定書は歴史上初めて温室効果ガスの削減を義務付けた国際協定だ。温暖化を止める「第一歩」になったことは間違いない。そして日本国民の意識、そして行動は、数値目標で大きく影響を受け、省エネ、節電、環境配慮の意識は高まった。

しかし議定書には「光」ばかりではなく「影」の部分も応分にある。その特徴である削減の数値目標は経済活動に制約を加える。しかしコストと負担について、冷静な検証が日本で行われていない。そして議定書の受け入れでは、「地球を救え」という情緒的な議論が行われ、「あいまいさ」を残したまま国の政策が進行してしまった。

「外交力不足」で他国に有利な状況の中に日本が置かれる。それを遂行するために、つじつま合わせの政策が国内で遂行され、最終的に国民が負担を受ける。これまで日本で何度も繰り返された失敗が、京都議定書をめぐっても起こっていた。そして政策の分析も、検証もされていない。2004年の国内での京都議定書の批准、そして12年の約束期間の終了の際に、国会でも、また民間でも、議定書の影の部分についてほとんど語られなかった。

「見栄え」より「実行」を

世界では今、京都議定書後の国際枠組み作りの交渉が行われている。年末に行われるCOP2020年以降の枠組みは「ボトムアップ」型である。数値目標を各国に割り振るのではなく、どんな政策を実施するのか、どんな実効性のある行動をとるのかを、国連に報告する緩やかな仕組みになっている。

実務を知らない政治家や外交官が「上から」数値目標を決める京都会議のような交渉方法ではない。官民が協力して「下から」できる対策を積み重ね、そして実行する形だ。日本は今でも省エネ、発電技術に強みを持つ。それを活かせるだろう。

削減の目標では、政府案では4月に13年度比で2030年までに温室効果ガスを26%の削減を行う案が出た。これはかなりの負担になる。しかし90年比40%削減などとするEUと比べ、「小さい」などという批判が、日本の一部メディア、環境NPOなどが行っている。しかし、ここで京都議定書の失敗を繰り返してはならないだろう。

図表1 (出典)産経新聞

京都議定書の教訓は、「『地球のため』という環境保護の名目や、見栄えを気にすると、後から損をしかねない」ということだ。もちろん温暖化防止対策は必要だ。しかし日本だけが負担を抱えるのは、愚行と言える。温暖化交渉で、京都議定書と同じ過ちを繰り返してはならない。26%の削減目標はかなり大きいが、それが実現可能か、また達成できない場合に、どのような対応をするかを、冷静に考えなければならない。

(2015年5月18日掲載)

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