「除染目標の年間1mSv」、こだわるべきではない
原発事故の起こった福島で、機会あればさまざまな形で原子力と放射線についいて説明しています。原子力にかかわってきたものの責務であると考えるためです。除染をめぐる質問で、長期目標に設定された年間追加被ばくの1mSv(ミリシーベルト)が正しいのかということです。私の行う説明を皆さんに紹介し、少しでも福島の不安を和らげたいと考えます。
年1mSvという基準は過剰に安全に配慮したものです。
(1)1mSv/年のリスクはどの程度か
図1 放射線量と発がんの関係
出典:小笹:京都府医大誌, 120, 903(2011)
放射線の被ばく影響は、広島と長崎原爆被災者に対する放射線影響協会の疫学調査で調べられています。右図に示すように、200mSv以上で、過剰相対危険度(リスク)が、被ばく量とともに上昇すること、ほぼ線形になっていることが分かります。民間団体で世界各国の政府に放射線の防護基準を提言するICRP(国際放射線防護委員会)は、この結果に基づいて、100mSv被ばく当たり(生涯)がん死亡率は0.5%と評価しました。ただし、これは放射線防護の考え方を論じたものであって、その確率で必ずがんになるということではありません。そして、放射線に関わる業務を行っている職業人の被ばく限度は、平均的には20mSv/年としています。(5年間積算で100mSv、単年度で最大50mSvというのが規則)
これを交通事故死のリスクと比較します。この場合に、気をつけなければいけないのは、単位をそろえることです。交通事故死は、よく10万人当りの死者数で表されていますが、上記の放射線の影響は、生涯死亡率の増加で表されています。生涯死亡率は、概ね平衡状態にあると考えれば、その年の死者数の割合で計算できます。
原子力学会の放射線影響部会が著したサイエンスポータル第225号より採った2008年の我が国死者数と死亡内訳を表1に示します。これによれば、生涯死亡率について、がんが30.1%、交通事故死が0.66%です。その放射線被ばく100mSvによるがん死亡率0.5%は、交通事故死の0.66%とほぼ同等であることが、分かります。
また、この時の全死者数約90万人から10万人当りの死者数の4.5人と割合(リスク係数)の4.5×10-5が得られます。上表により、放射線を業務とする人と一般人のリスク係数を計算してみます。
職業被ばく 20mSv/年: リスク係数= 9×10-6
一般人 1 mSv/年: リスク係数=4.5×10-7
上記の値は、ともに交通事故の場合の5.9×10-5に比べれば、かなり小さく、この値を超えたからと言って、危険を示唆するものではありません。
(2) 低線量被ばく影響
広島・長崎原爆による被ばく影響の調査やその後の医療従事者や原発作業者に対する調査結果において、100mSvより低い線量では、影響が低いために統計的に有意なデータが得られていません。一方で、がんの放射線治療において、100mSvの低線量全身照射や免疫をつかさどるひ臓への照射が、がんの転移に対して抵抗が増すという東北大の坂本博士の報告があります。がん患者という正常者とは違った状況にあるため、同一視できないかも知れませんが、これは朗報と言っても良いと思います。とにかく低線量であれば影響は低いということは信じてよいでしょう。
人は、自然放射線にさらされています。それでも、がんが多発することはありません。がんの発生は、人の細胞中のDNAが異常を来たし、異常な速度の細胞分裂を起こすことによって起きます。そのDNA損傷は、放射線やストレスによって作られた活性酸素や、放射線が直接DNAに当たってできます。しかし、損傷したDNAの多くは修復再生されます。また、再生し損ねて生み出された異常細胞は、アポトーシスといって自然消滅したり、白血球などによってほぼ駆除されたりします。
このように人体には、何段階もの放射線に対する防御機構が備わっています。ただし、それらの機能は個人差があり、また若いほど強いと言えます。老齢化して免疫力が弱くなると、体内にひそんでいたがん母細胞が突然に増殖し出して、発ガンするようになります。そのため、特別に被ばくしなくても男子の場合30%の人ががんによって死亡します。
100mSv以下の低線量被ばくよりも、ストレスの影響は大きいとされています。一つのデータを示します。産業医大・放射線衛生学講座「放射線学入門」中の資料によれば、活性酸素によるDNAの2本鎖切断が、放射線を浴びた場合も日常のストレスでも起こります。放射線を1日1mSv浴びた場合に比べて、ストレスの方が300倍も高いのです。この日常のストレスの大きさと比較すると、後述する自然放射線による年間2-3mSvの被ばくや、医療被ばく(胃のX線検査で0.6mSv/回、CT検査で5-30mSv)の影響は、かなり低いと言えます。
ICRPは、前述した放射線被ばくにおけるリスク係数の低さや、上述の生体の防御機能の効果や日常ストレスの影響も考慮して、事故時の避難勧告の線量として、20-100mSvのいずれか適当なレベルで決めなさいと言っている訳です。
(3) 除染との関係
除染は5mSv/年を目標として、福島県伊達市や郡山市でスタートしました。ところが、2011年4月の小佐古内閣府参与が、その科学的根拠は不明なのに「学校における20mSvの被ばく基準は高すぎる」と泣いて辞任をしました。その後で、マスコミが主導する形で、除染目標を1 mSv/年にする声が高まりました。当時の福島問題担当の細野豪士環境大臣がこの基準の受け入れを表明し、2011年10月に、国が年間追加被ばくが1mSvとなる地域を除染対象域とすることになりました。新しい除染基準のため、除染対象地域が非常に広がりました。
当然、除染にかかる予算も巨大化しています。また除染を急いで欲しいという住民の気持ちも冷やされ、除染のはかどりが悪くなりました。一部の自治体の首長さんまでもが、「1mSv未満にしなければ帰還できないので、避難区域の解除は認められない」と主張しました。
2013年に来日したIAEA調査団は、こうした状況を見て、「除染で年間1mSvの目標にこだわらないで」という内容の勧告を出しました。
この問題では、その節目ごとに、「なぜ1mSvなのか」の意味付けがなされなかったのと、国もそれまでの形式的な説明を繰り返すだけでした。しかし、私が示したように、免疫が勝る限り100mSv以下ではの健康被害は、ほぼありえません。そして福島の住民の被ばく量は、事故後の経過を考えても10mSv以下の人が大半で、健康に影響はありません。ストレスの無い生活が重要です。それなのに、いまだにマスコミも含めて一般には、この意味はよく理解されていません。
(4) 除染の効果、限界、主要都市の除染後の空間線量率
除染は、国のガイドラインに基づいて行われます。除染の効果は、除染の前と後での地上1m高さでの空間線量率の低減割合で評価しますが、放射線は、除染した外からもやってくるため、その場所をきれいにしても下がりません。
局所的に放射性物質が多くたまった「ホットスポット」だと、除染すると7−9割下がります。しかし、が、平均的な線量だと、半分も下がりません。計算によれば、半径を1kmぐらいを除染すると、本当の効果が見えます。
図2 事故1か月後の福島県の空間放射線量
出典:文部科学省
右図は、航空機モニタリングによる地表1m高さの空間線量率であり、2013年11月19日現在の線量に換算されています。モニタリングポストの結果によれば、中通りの比較的線量が高かった福島市、郡山市等の放射線量は、0.24μSv/時間を切っています。また、伊達市の一部で0.5μSv/時間です。さらに、田村市や川内村等の除染特別地域も、平均的には、0.4および0.7μSv/時間です。これらの空間線量率を5倍して得た数字が、mSv/年単位の年間追加被ばく量の概算値です。福島市等の中通りの主要都市は、概ね1mSv/年で、高いところで2.5mSv/年です。
(5) 自然放射線被ばくとその影響
自然界には、宇宙線とともに、天然のカリウム中1万分の1含まれているカリウム40やラドンなどからの自然放射線があり被ばくします。食品を通じて取り込まれます。そのため、我々の体内にも、7000ベクレルもの放射性物質があて、内部被ばくします。そこで、国連科学委員会の資料UNSCEAR 2000に基づいて、国別に自然放射線による年間あたりの被ばく量を計算して図にまとめてみました。日本は2.1mSv、世界平均は、2.4mSvです。日本に比べて、北欧の高さが目立ちます。
(6)福島での被ばく
福島の中通りの人が受ける放射線量は、日本平均の自然放射線被ばく量にセシウムによる追加被ばくの0-2.5mSvを加えたものです。これは、ヨーロッパで受けるのと、ほぼ同等だということが、上のグラフで分かります。また、国別のがん死亡率と年間被ばく量に関係があるかも調べてみましたが、自然放射線による違いの影響は見られません。
食物を通じた内部被ばくも、福島の食品は多くが基準値よりずっと低く、最近のWBC検査でもセシウムの検出例は少なく、1mSv/年を超えた人はいません。これを日本政府が世界にもっと強く主張すれば、福島に対する、また、日本に対する海外の風評被害もずっと緩和できたと確信します。
(7)まとめ
放射線被ばく1mSvのがん死亡リスクは、4.5×10-7で、交通事故死のリスクの5.9×10-5に比べて2桁以上小さく、リスクはきわめて低いと言えます。また、福島の被ばくは、自然放射線とセシウムによる寄与を足しても、ヨーロッパでの自然放射線による被ばくと同じか、それより低いと言えます。自然放射線による被ばくの差でがんによる死亡率に差が無く、健康影響はないと、安心してよいと言えます。
また除染についても、「除染目標の年間1mSv」にこだわるべきではないというIAEAの主張は妥当です。住民の方のご意見を聞きながら、復興を促進するために、除染の目標を地域ごとに柔軟に変更するべきでしょう。
私の示したことは、多くの有識者、そして福島の住民の方が繰り返し述べてきたことです。しかし、その不安の払拭のためには、一段の定着が必要です。福島復興の加速と、日本社会を明るくするために、福島の放射線の状況と放射線影響について、不安にとらわれることなく、正確な情報を伝えていきましょう。
(2015年2月9日掲載)
関連記事
-
前回(https://www.gepr.org/ja/contents/20180710-02/)、簡単に九州電力管内の電力需給事情を概観したが、今回は「CO2削減」をテーマに九州の電力需給の在り方について考えてみたい。
-
高まる国際競争力への懸念欧州各国がエネルギーコストに神経を尖らせているもう一つの理由は、シェールガス革命に沸く米国とのエネルギーコスト差、国際競争力格差の広がりである。IEAの2013年版の「世界エネルギー展望」によれば、2012年時点で欧州のガス輸入価格は米国の国内ガス価格の4倍以上、電力料金は米国の2-2.5倍になっており、このままでは欧州から米国への産業移転が生ずるのではないかとの懸念が高まっている。
-
福島第一原発事故から3年近くたち、科学的事実はおおむね明らかになった。UNSCEARに代表されるように、「差し迫った健康リスクはない」というのがほぼ一致した結論だが、いまだに「原発ゼロ」が政治的な争点になる。この最大の原因は原子力を悪役に仕立てようとする政治団体やメディアにあるが、それを受け入れる恐怖感が人々にあることも事実だ。
-
(GEPR編集部) 原子力問題の啓発と対話を求める民間有志の団体である原子力国民会議が、12月1日に原子力政策のあり方について集会を開催する。原子力の適切な活用を主張する動きは、2011年の東京電力の福島第一原子力発電所
-
基数で4割、設備容量で三分の一の「脱原発」 東電は7月31日の取締役会で福島第二原発の全4基の廃炉を正式決定した。福島第一原発事故前、我が国では54基の原発が運転されていたが、事故後8年以上が経過した今なお、再稼働できた
-
低線量放射線の被ばくによる発がんを心配する人は多い。しかし、専門家は「発がんリスクは一般に広がった想像よりも、発がんリスクははるかに低い」と一致して指摘する。福島原発事故の後で、放射線との向き合い方について、専門家として知見を提供する中川恵一・東大准教授に聞いた。(全3回)
-
エネルギー問題では、常に多面的な考え方が要求される。例えば、話題になった原子力発電所の廃棄物の問題は重要だが、エネルギー問題を考える際には、他にもいくつかの点を考える必要がある。その重要な点の一つが、安全保障問題だ。最近欧米で起こった出来事を元に、エネルギー安全保障の具体的な考え方の例を示してみたい。
-
6月27日記事。米カリフォルニアのディアプロ・キャニオン原発の閉鎖で、再エネ、省エネによって代替する計画を企業側が立てている。それを歓迎する記事。原題は「Good News From Diablo Canyon」。
動画
アクセスランキング
- 24時間
- 週間
- 月間