原子力行政はどこで「脱線」したのか
全国の原発が止まったまま、1年半がたった。「川内原発の再稼動は今年度中には困難」と報道されているが、そもそも原発の運転を停止せよという命令は一度も出ていない。それなのに問題がここまで長期化するとは、関係者の誰も考えていなかった。今回の事態は、きわめて複雑でテクニカルな要因が複合した「競合脱線」のようなものだ。
かつて日本が戦争に突入したときも、軍部を含めて誰も戦争を望んでいなかったのに、多くの手違いが重なった結果、「何となく何物かに押されつつ、ずるずると国を挙げて戦争の渦中に突入した」(丸山眞男)。原子力行政は、こうした日本的意思決定の典型である。ここでは具体的な経緯をたどりながら、それがどこで脱線したのかを考える(敬称略、肩書きは当時)。
宙に浮いたストレステスト
2011年5月、菅首相は記者会見を開いて「浜岡原子力発電所のすべての原子炉の運転停止を中部電力に対して要請をいたしました」と述べたが、首相に原発を止める権限はない。記者会見で停止を求める法的根拠を質問されて、菅は「指示とか命令という形は現在の法律制度では決まっておりません。そういった意味で、要請をさせていただいたということであります」と答えた。
しかし中部電力は臨時取締役会を開いて、これを受け入れた。原発の停止で年間3000億円ぐらい損失が出るため、経営陣は「防災工事が完了したら再稼働を認める」という確認書を海江田経産相と交わしたが、経産省は「中部電力が原発停止を決めたのは、あくまで自主判断」と責任を回避している。
そのあと、定期検査の終わった佐賀県の玄海原発の運転開始が焦点になった。古川知事は原発推進派だったので、経産省は浜岡を止めると同時に玄海を動かすことによって「浜岡は例外」という前例をつくる予定だった。海江田経産相は6月29日に玄海町の町長と会談して運転再開を認める了解を得て、古川知事も再開を容認したが、菅が「ストレステストが終わらないと再稼働は認めない」と言い、運転再開ができなくなった。
事故後に政府が各電力会社に求めたストレステストは、ヨーロッパの原発で行なわれているシミュレーションで、運転を止めなくてもできる。電力会社は31のプラントでストレステストの第1次評価報告書を原子力安全・保安院に提出した。
しかしストレステストには何の法的根拠もない。テストを命じる法律はおろか、省令も閣議決定も通達も出ていないのだ。電力会社に渡されたのは、「我が国原子力発電所の安全性の確認について」と書かれた2011年7月11日付の3ページのメモだけだ。この文書には、3大臣の名前が書いてあるが、公印も押されておらず、文書番号もない。役所が責任を逃れるため、公文書にしていないのだ。
ここでは「稼働中の発電所は現行法令下で適法に運転が行なわれている」という<現状認識>を書いた上で「欧州諸国で導入されたストレステストを参考に、新たな手続き、ルールに基づく安全評価を実施する」という<解決方法>を提示している。
この文章には主語が明示されていないが、文脈からは政府が命じるのではなく、電力会社が自主的に実施すると読める。実施せよとも書いてないし、しなかった場合の罰則もなく、実施したら再稼働してよいとも書かれていない。
再稼動を申請する電力会社は、ストレステストの報告書を保安院に提出し、原子力安全委員会が妥当性を判断する。その判断を受けて、首相、経産相、原発事故担当相、官房長官の4者が安全性を確認し、地元の合意を得れば、改めて首相と3閣僚の協議で再稼働を最終決定する——という流れになっていた。
これを受けて、電力会社は31のプラントでストレステストの第1次評価(東日本大震災と同じ規模の地震を想定したシミュレーション)の報告書を原子力安全・保安院に提出した(第2次評価は苛酷事故のシミュレーション)。しかし保安院はそのうち大飯3・4号機と伊方しか原子力安全委員会に送付せず、安全委員会はそのうち大飯だけを合格として4大臣に送付し、あとは放置された。
同委の班目委員長は2012年3月の記者会見で「第1次評価だけで安全性を評価するのは不十分だ。妥当かどうかを判断するのは保安院であり、再稼働をするかどうかは政治判断で決まる」と述べた。大飯の場合は保安院が第1次評価だけで「妥当」という結論を出したが、野田首相は国会で「大飯以外は第1次評価だけでは不十分だ」と答弁した。
「田中私案」のもたらした大混乱
2012年に改正された原子炉等規制法では「発電用原子炉施設の維持」という規定を設け、バックフィットを義務づけた。これは第43条の3の14の「発電用原子炉設置者は、発電用原子炉施設を原子力規制委員会規則で定める技術上の基準に適合するように維持しなければならない」と、原子炉が新しい基準につねに適合していなければならないことを定めている。
このため旧基準のもとでつくられた原子炉であっても、新基準に合わない部分は過去にさかのぼって改修しなければならないが、バックフィットは運転とは無関係である。欧米の原発にもバックフィット規制はあるが、その審査は運転を止めて行なうものではない。この原因は、大飯原発の再稼動問題なのだ。
改正された原子炉等規制法は2013年7月から施行されることになったが、このとき唯一運転中だった関西電力大飯原発3・4号機の運転が論議になった。反対派は「大飯の運転は改正法が施行される7月に停止し、新基準に適合させるべきだ」と主張したが、経産省は「ストレステストに合格していれば運転を続けることは問題ない」という見解を出した。
これについて規制委員会の田中俊一委員長は、2013年3月に「原子力発電所の新規制施行に向けた基本的な方針(私案)」と題する3ページのメモ(田中私案)を出した。7月に新しい規制基準が施行されても、定期検査に入る9月まで暫定的に運転を認める必要があったからだ。
ここでは「7月の新規制導入時点で稼働中のプラントの扱い」として「導入直後の定期点検終了時点で、事業者が施設の運転を再開しようとするまでに規制の基準を満たしているかどうかを判断」することになった。つまり7月に新基準が施行されてもただちに停止せず、次の定期検査に入るまで運転を続けることが、田中私案のねらいだった。このため正式の委員会規則にせず、非公式なメモにとどめたものと思われる。ここでは「新規制の考え方」として次のように書いている。
新たな規制の導入の際には、基準への適合を求めるまでに一定の施行期間を置くのを基本とする。ただし、規制の基準の内容が決まってから施行までが短期間である場合は、規制の基準を満たしているかどうかの判断を、事業者が次に施設の運転を開始するまでに行うこととする。(施設が継続的に運転を行っている場合は、定期点検に入った段階で求める。)
適合には一定の施行期間を置くのを基本とするが、「運転している場合は定期検査に入った段階で審査する」というのは、大飯を念頭に置いていたと思われるが、通常のように各原発がばらばらに定期検査する場合には、それぞれの検査中に安全審査を終えれば運転に支障は出ない。ところが今回のようにすべての原発が止まっている場合には、安全審査が終わらないと1基も運転できなくなる。
特に規制委員会は、設置変更許可、工事計画認可、保安規定認可の申請を同時に提出させ、「規制の基準を満たしていない原子力発電所は、運転の再開の前提条件を満たさないものと判断する」と決めたため、これが最大の障害になっている。
しかし2014年2月21日に閣議決定された原発再稼動についての答弁書で、政府はこう答えている:
原子力規制委員会は、核原料物質、核燃料物質及び原子炉の規制に関する法律(昭和三十二年法律第百六十六号)により発電用原子炉(同法第二条第五項に規定する発電用原子炉をいう。以下同じ。)の規制を行っているが、同法において、発電用原子炉の再稼働を認可する規定はない。
そもそも規制委員会に再稼動を認可する権限はない。すべての原発が止まっているのは、田中私案の「規制の基準を満たしているかどうかの判断を、事業者が次に施設の運転を開始するまでに行う」という手続きが原因なのだ。本来は「シビアアクシデント対策」と「バックアップ対策」を区別し、後者については5年の猶予を置くことになっていたが、ほとんどの規制が前者に分類されたため、膨大な時間がかかることになった。
当初は一つのサイトの審査期間は半年と想定されていたが、川内原発については2013年7月の申請からすでに1年半たち、最終的には2年近くかかると推定されている。3チームで並行して審査しても、このペースでは48基のうち30基程度を運転するのにも10年以上かかり、10基以上がこのまま廃炉になるおそれがある。
どこで脱線したのか
経緯を整理すると、事態がここまで悪化するまでに、いくつか節目があったことがわかる。
1.菅首相の浜岡原発停止要請(2011年5月)
2.野田首相のストレステスト却下(2012年3月)
3.田中私案(2013年3月)
1が最初の脱線だが、玄海原発が予定通り再稼動できていれば、浜岡以外は正常化した可能性がある。しかし菅は「ストレステストに合格しないと再稼動は認めない」と言った。ストレステストは運転と並行して行なわれるシミュレーションなので、この運用は誤っているが、大事故の直後に国民を納得させる儀式としては意味があったかもしれない。
最大の脱線は、実は2である。2012年3月に野田首相が第1次評価を却下したのは、7月の新規制後も大飯の運転継続を認めることを例外と位置づける意図だったと思われるが、結果的には大飯以外のストレステストをすべて反故にすることになった。この背景には、民主党政権の支持率が暴落する中で、「脱原発」が唯一の売り物になっていたことがある。
このような政権の意志を受けて、田中委員長も全原発を止める手続きを考えたものと思われる。田中私案が提案された2013年3月19日の規制委員会の議事録では、田中委員長は「基準を導入したら、即時、運転しているものも全部停止させるべきだ」という考え方に反対し、一定の猶予を置くつもりで5年の猶予期間を置いたと説明していたが、結果的には全原発の即時停止になった。
田中私案が出たときは安倍政権だったので、首相が介入すれば歯止めをかけることは可能だったが、誰もこの問題に気づかなかった。一連の意思決定が民主党政権で行なわれたことも不幸だったが、それをリセットすることが期待された安倍政権も、世論の反発を恐れて「安全性が確認されたら再稼動する」という方針を繰り返している。
安全審査と運転を分離せよ
当初の想定のように安全審査が短期間で終わるなら、それを見守っていてもよかったが、状況は変わった。2基に2年近くかかるような安全審査を待っていたら、日本のエネルギー供給は危機的な状態になり、日本経済にとって大きなダメージになる。幸い原油価格は下がってきたが、日本の輸入するLNG価格はほとんど下がらない。原発停止で、売り手市場になっているからだ。このまま10年以上も原発を止め続けると、資産の損害とあわせて30兆円以上の損失が出るだろう。
田中委員長が議事録で「今回の基準は、決して最終的なものではなくて、今後も改善されていく」と言ったように、田中私案は暫定的な提案なので、川内が再稼動するタイミングで安全審査のスケジュールを見直す必要がある。特に重要なのは、安全審査と運転の分離である。
具体的には、田中私案の「規制の基準の内容が決まってから施行までが短期間である場合は、規制の基準を満たしているかどうかの判断を、事業者が次に施設の運転を開始するまでに行う」という例外規定を削除し、「基準への適合を求めるまでに一定の施行期間を置く」という委員会規則をつくるべきだ。規則を改正して「バックアップ対策」に分類する規制を増やしてもよい。
かつての戦争では、内閣と陸軍と参謀本部がばらばらに意思決定を行ない、それらを統帥する天皇が名目的な君主だったために事態がコントロールできなくなったが、今回は最終的な決定権を安倍首相がもっている。非公式のメモを正式の委員会規則にする文書化の手続きに反対する人は少ないだろう。必要なのは、首相の指導力だけである。
(2015年1月26日掲載)
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