「死の淵を見た男」の著者・門田隆将氏の講演から
(GEPR編集部より)ノンフィクション作家の門田隆将氏の著書『死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日』(PHP研究所)が反響を呼んでいる。福島第一原発事故で、これまでメディアの取材の形で表に出なかった事故当日の東京電力社員の動きが、当時の吉田所長を中心に克明に綴られている。
門田氏の詳細な取材と構成力によって迫真性を持って、事故の状況が浮かび上がる。また死を覚悟して、事故処理に向き合った姿には、心を打たれる。門田氏の講演を聞いた井上雅則氏から、その内容をまとめた投稿があった。門田氏からは、転載の許可をいただいた。門田氏、井上氏には感謝を申し上げる。
ただし、本の著者の門田氏や、その考えを伝えた井上氏には責任のないことであるが、原発事故対応の情報を私たちが受け止める場合に、東電に対する感情的な反発は適切ではないが、批判無き評価も妥当ではないだろう。東電の原子力部門、そして福島第一原発の同社社員・役員は、津波対策をめぐる事前準備を怠って事故の原因をつくったこと、そして地震後に連鎖的に4つの原子炉を部分的に損傷させて事故の拡大を防げなかったことについては責任がある。現場の同社社員の頑張りは評価しても、その結果は批判されなければならない。
(以下本文)
東京電力福島第一原子力発電所の事故から早2年が過ぎようとしている。
私は、原子力関連の会社に籍を置いた人間でもあり、事故当時は本当に心を痛めTVにかじりついていたことを思い出す。
そんな中、昨年10月、PHP研究所から出版された『死の淵を見た男』に出会った。読み始めると一気に読み終えた。いろんな報告書がこれまでまとめられ世に出されたが、著者も言っているように、現場で死闘を繰り広げた社員の顔が吉田所長以外は全く出てこない。
世間にはマスコミにより東電バッシングの記事が溢れ、悪=東電といったイメージだけが作り上げられていた。事故現場の状況についても、東電バッシングに繋げるような報道が主流であったように思う。刻々と変化する状況についての報道に接するたび、原子力に携わった事のあるものとしては、その後ろで事故に立ち向かっている作業員の方々の過酷さをまずは想像したが、本当の状況を知るよしもない。
そういう中でこの本を読み、初めて事故現場ではこんな事が起こっていたのか、という事を知った。現場では吉田所長のもと、死を意識しながらも冷静さを失わず暴れ狂う原子炉と向かい合っていた方々の、プロのすごさを越えた人間の生きざまを知った思いである。海外で「無名の50人のヒーロー」と讃えられているとの報道があった。この様な人々は歴史において無名であってはいけないし、忘れ去られるべきではない。本書の真の意味はここにある。
その著者であり、ジャーナリストの門田隆将氏が、都内で講演を行うと聞き、先日傍聴してきた。1時間少しの時間はあっと言う間に過ぎ去った感じだった。改めて自分だけで感動するのも勿体ないと感じ、また著者自らの迫力のある声を拝聴し、改めて感動したこともあって、以下に講演録を簡単に纏めてみた。ポイントだけになるが、皆様と感動を共有したいと考え、以下のとおり報告したい。
なお、表現力が乏しく的確に伝えられていないことを著者にお詫びしたい。
【講演:門田隆将氏】・・・・・・・・・・・・・・・・・
(3・11、福島事故発生)
■私が書く本はすべて人間の生き様をテーマにしたものだ。事件、事故、スポーツ、 裁判など、あらゆるものをこれまで扱ってきたが、唯一共通している点は「毅然とした日本人」そのものを描きたい、そういった日本人がいたことを歴史に残しておきたい、これが私の物書きとしての大テーマである。過去21冊そういった作品を残してきた。
■2011年3月11日、東北地方を1000年に一度の地震と大津波が襲った。私の事務所は新宿近くのビルの27階にあり、『太平洋戦争、最後の証言』の原稿締切を控え頑張っていた時だったが、それはそれは部屋の中はひどい状態になった。それでも締め切りは待ってくれない。原稿はそのまま書き続けたが、福島の事故が発生したとの報道以降、1日1日がどうなるものかと、やきもきしながらTVはつけたまま締め切り作業を続けた。
■ 一方、北京に留学中の長男がネットのスカイプで、「お父さん、日本は大丈夫?東北地方の地震の映像や、死体が重なり合うように大津波に流されているシーンが毎日出ているよ」と連絡があった。日本では流されない壮絶なシーンが、これでもかといった形で流れていたようだ。
(荒れ狂う原子炉との格闘)
■その後、国や東電、自衛隊や消防といった、福島第一事故に関わる当事者の対応や大混乱する官邸・保安院の対応を、私も皆さんと同じように不安な気持ちで見ていた訳だが、徐々に現場の様子が分かってきた際、放射能が充満する現場で、全電源喪失といった真っ暗闇の中を、懐中電灯一つで格闘した人間たちがいたことを知った。私はいつも同じ作業のプロセスを行う。何を取材し、何をその対象としたいのかと思う時、それは「私ならその同じ状態に身を置いたらどう行動するのか」ということを。
■ 皆さんならどうしますか? どこにどれだけの放射能があるのか分からない極めて危険な場所を、それもガレキが散乱する真っ暗闇の中、どんな状況か分からない原子炉に向かって突入した日本人がいたわけである。そんなことを知り、ますます自分が真実を将来に伝えないとダメだと思った。ただ書くためには東電関係者へのアプローチを始める必要があるわけだが・・・。
■ 一方その間に、政府事故調をはじめ、計4つの報告書も出され全て読んだが、ただ残念に感じたのは全ての報告書とも、そんな壮絶な場所で闘った人間の顔が全く見えてこない。やはり自分がこのような男たちを(実は現場では女性社員も活躍したが)、後生に残さないとダメだと更に思いを強くした。
■そこからの取材ルートの構築には相当困難を極めたが、そこは週刊新潮のデスクを18年やった経験と実績が実を結んだ。1年以上を経たある日、やっとあるルートがズドンといった。それから初めて吉田所長に会えたのは昨年7月だ。2回目に会った時がこの本の巻頭の写真であるが、TV映像でみる吉田所長とは大きく違っていた。ただ、迫力ある言葉は想像通り。こんなことも言われた「門田さん、聞きたいことは何でも話すよ。もし、まずい部分があったら、そっちでカットしてよ」と。こんなことを言える東電の人もいるのか、と驚いた。私にとっては、亡くなった元東電副社長・山本勝氏以来だと感じた。
■ もちろん本にも書いたが、地震が来て、津波にあって全電源喪失となった後から、現場では原子炉を冷却する対応が始まっており、その注水ルートの確保のための行動を起こしてる。外部電源がダメ、電源車もダメ、メタクラも関連設備も水没しダメ、といった中、先を見越した対応を現場では既に始めていたことも事実であり、それも生身の人間がその作業をしていたわけだ。
(取材を進めるにあたって)
■取材を進めるにつけ、大きな障壁は東電本店。匿名で書いてほしいという要求をはじめ、途中から横槍が入ってきた。しかし、私は実名で書いてこそ、ノンフィクションだと思っている。福島第一の現場の闘いは描くが、東電そのもののヨイショ本を書くつもりなど、毛頭ない。そんな匿名で書くような本なら、後世に残す意味がないし、その必要がないと。考えてほしい。真実の歴史を語る人が、仮説や匿名で語るといった話しは聞かないでしょう?
■ 何十人もの現場取材を続け、基本的に1人3時間以上のヒアリングを行った。そんな取材を進める中、一番記憶に残っていることを紹介したい。決死隊となった皆さんの中で、「自分が死を覚悟した後、やり残したことがあるこ とに気づき、心が折れそうになった」と仰った方がいた。「やり残したこととは何か」と聞いたがなかなか教えてくれなかった。取材の最後にやっと答えてくれた。「それは、女房に『ありがとう、今まで幸せだった』という言葉を言えないまま死んでいくことです」と。涙ながらに答えてくれたその言葉を聞いて、私も、ぐっとこみ上げてくるものがあった。こういう人たちが、暗闇の中、懐中電灯だけで突入を繰り返して暴走する原子炉を止めたということを歴史に残しておくべきだと思った。
(事故が与えてくれた教訓)
■ 日本のマスコミのあり方について、多くの教訓も残したと思う。と同時に企業のあり方もそうだ。特にマスコミは一方的に物事を書く。ラベリングした書き方で類型化したがる。その方が書きやすいからだが、一言でいって「善と悪」のどちらかに決めて書くと書きやすい。
■ 戦争は悪だと決めると行動すべてが悪であるため書きやすい。さらにそういう方向で書いている自分に徐々に酔ってくる。私はそういう記者たちが陥っているものを「自己陶酔型シャッター症候群」と呼んでいる。
■ 東電=悪と決めると極めて書きやすい。確かにミスはあった。メタクラもバッテリーもダメ、地下に設置していたんだろう、津波が来ない前提ならばあえてそれでも問題ないとの判断をしたのだと思う。ただ、現場にいる人、死と向き合った人も東電社員だ。家族もいる。そういった角度で報じたマスコミはあっただろうか。記憶にない。そんな闘った人、すなわち現場の真実に目を向けないのが、今のジャーナリズムだ。
(海水注入問題)
■ 一人私の取材を拒否された方がいる。武黒氏(当時東電の原子力担当副社長)だ。有名な海水注入問題であるが、官邸に詰めていたのが同氏。電話で「おい吉田、海水注入をやめろ。いいからやめろ。官邸がぐじゃぐじゃ言ってんだよ」。吉田所長はこの武黒氏からの電話で、次にTV会議を通じて本店から海水注入の中止命令が来ると予想した。そして、事前に担当者に「本店から中止の命令があった場合、俺が分かったと回答しても、注入は止めるな」と内々に指示した。これがご案内のとおり、本店の命令違反となった。実際にテレビ会議を通じて、中止命令が来たからだ。だが、吉田所長は辞職を覚悟の上で、海水注入を続けた。
■しかし、ここで考えてほしいことは「本義」は何なのかということ。原子炉の暴走を止めるためには、海水注入を続けなくてはならないことはわかっている。しかし、専門家が沢山いるはずの本店から、「官邸に命令されたから」と、海水注入中止命令が実際にやって来る。そんな本末転倒の事態が実際に起こっていた。しかし、本義を忘れない吉田さんによって、それは回避された。これこそ吉田さんの真骨頂だったと思う。
■ のちに調査団が現場に来た時、吉田さんは辞表を書いて覚悟の上でこのことを告白している。本義を忘れてしまうのは、いつの時代もエリートに多い。東電本店が原子力を扱う事業者として、本義を忘れるようなことは決してあってはならない。吉田さんのような腹の据わった人がいて、日本が救われたと思う。
(フクシマフィフティ)
■3月15日朝、いよいよ2号機のサプチャン(サプレッションチェンバー:原子炉の圧力上昇を抑えるための水冷装置)の圧力がゼロを示した際、これでアウトだと思った人は多い。その何時間か前のことだが、緊対室で吉田所長はふらっと立ち上がって、テーブルに背を向けて自分の席の床に座り込んだ。そんな光景を周りの何人もの人が見ていて、いよいよ終わりだ、と感じたようだ。この時、吉田さんは目をつむって一緒に死んでくれる人間の顔を思い浮かべていた。その時600人以上の人がまだ福島第一には居たわけだが、吉田さんは、その後に爆発音がして、2号機のサプチャンの圧力がゼロを示した時、ついに「各班は最少人数を残して退避」という命令を出した。多くの職員が大混乱の中で去っていく時、緊対室から梃子でも動かない若者もいた。
■そんな時、Sさん(編注・講演では実名)という防災安全グループの女性が「あなた達には、第二、第三の復興があるのよ。だから出なさい!」と大声をあげて、彼らを緊対室から引きずり出した。生きるか死ぬかのぎりぎりの場面だった。これによって、あの有名なフクシマフィフティの状態になった。実際は69人だったようだが、この言葉も日本のマスコミではなく、海外メディアが名付けた訳だから日本のメディアは情けない。しかしいったん避難した職員も、また戻ってきて対応に参加。こういう戦いがあって、あの暴走原子炉を止めたという事実がある。要するに「人間が止めた」ということだ。
(大正生まれの気骨)
■一般の報道からは見えてこないこと、それは「なぜ日本人は突入できたのか、なぜあのような危険な場所に命を省みず自ら飛び込んでいけたのか」ということ。少し視点を変えてみる。第二次世界大戦でなくなった人の多くは大正生まれの人だった。実に同世代の「7人に1人」が死んでいる。生き残った6人が戦後復興、高度成長を作り上げた。生涯前進をやめなかった人たちであり、世代だったと言える。言い換えると、「他人のために生きた人たち」だ。
(毅然とした日本人がいた)
■ 私は、以前から大正生まれの人たちが「他人のために生きた人たち」なら、戦後世代、すなわち「今」を生きる人たちは、「自分のためだけに生きる人たち」だと捉えてきた。しかし、この作品を上梓するために取材を重ねて、それが間違っていたことに気づいた。それは、現代の日本人にも、「自己犠牲」を知り、「毅然とした生きざま」を知る人が数多くいた、ということだ。私は、福島の現場で闘った人々を取材させてもらって、人間の使命感や責任感、そして家族への愛情の深さを改めて教えられた。そして、故郷を命をかけて守ろうとした人たちがいたことを知った。取材を通じて「いざという時、毅然とした日本人がいた」ということを心から実感できたことが、私にとって最大の喜びだった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
門田氏がこの作品を通じて実感した日本人観、私もまったく同じ感動と誇りを感じた
ノンフィクション作品だった。この事実を苦労され上梓した門田氏に感謝とねぎらいを申し上げたい。
(2013年3月11日掲載)
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