核燃料サイクルは安全保障の観点から止められない ー 民主党政権の原子力政策の死角
民主党・野田政権の原子力政策は、すったもんだの末結局「2030年代に原発稼働ゼロを目指す」という線で定まったようだが、どうも次期衆議院選挙にらみの彌縫(びほう)策の色彩が濃く、重要な点がいくつか曖昧なまま先送りされている。
とくに核燃料サイクル(一度原子炉で使用された核燃料を再処理しプルトニウムを抽出してプルサーマルや高速増殖炉でリサイクルすること)は当分現状維持となっているが、今後の状況次第で廃止となる可能性も排除されていない。(勿論総選挙の結果政権が代われば別の展開になるだろうが。)
いずれにせよ、核燃料サイクルに関する問題は、ある程度専門的な知識がないと十分理解できないと思われるので、まず簡単に基本的なところを説明しておきたい。
「核廃棄物」か「リサイクル燃料」か
そもそも、一度炉で燃やせば――CO2の排出問題は別として――大方煙になって消滅してしまう石油、石炭、天然ガスと違って、原子力は炉で燃やす、つまり核分裂を起こさせた後も、この使用済み核燃料の処理・処分について様々な問題が残る。
先進原発国の中で米国は、使用済み核燃料は「廃棄物」としてそのまま捨ててしまう「ワンススルー方式」を採っている。一方、フランス、イギリスや資源小国の日本は、使用済み核燃料を化学的に再処理してプルトニウムとウランを取り出し、それぞれ原子炉で再利用する「リサイクル方式」を採っている。そうすれば、ウラン資源の有効利用になるほか、廃棄物の量が格段に少なくなり、最終処分が比較的容易になるなど様々な利点があるとされる。
そのため日本の電力会社は、これを「廃棄物」と呼ばず「リサイクル燃料」と呼んでいる。
六ヶ所再処理工場と「もんじゅ」
日本は、この政策に沿って20年ほど前から青森県下北半島の六ヶ所村に約2兆円もの巨額を投じて商業用再処理工場を建設してきた。建設工事は数年前に事実上完了したが、最終的な試運転段階で発生したトラブルにより、操業開始の一歩手前で足踏みしている。完成した暁には非核兵器国で唯一の本格的再処理工場となる。
他方、同工場で抽出されたプルトニウムは、将来実用化される高速増殖炉(FBR)の燃料として使用される計画で、そのために福井県敦賀市に原型炉「もんじゅ」が建設されたのだが、17年前のナトリウム漏れ事故で止まったままの状態が続いていた。2年ほど前にようやく運転を再開したが、直後に、原子炉内に装置の一部が落下するトラブルに見舞われ運転を停止。これについて専門家の間では深刻な事故ではないという意見が大勢だが、原子力への厳しい批判の中で動かせない状況に陥った
そこへ昨年3月11日の東電福島第一原発事故が追い打ちをかけ、状況は一層厳しくなった。なお、高速増殖炉が実用化されるまでの繋ぎとして、プルトニウムをウランと混合したMOX燃料の形で普通の原子炉で燃やす「プルサーマル」は、2、3年前からいくつかの原発で実用化が始まっていたが、これも3.11事故ですべてストップしてしまった。ただし、プルサーマル専用の大間原発は建設工事が再開される模様だ。
3方向から突き付けられた横槍
概略以上のような状況の中で、「原発稼働ゼロ」を目指す立場の民主党としては、この際一気に六ヶ所再処理工場とFBRもんじゅ計画を廃棄に持ち込もうと目指したようだが、そうは問屋が卸さなかった。3つの方向から強烈な横槍が入ったからである。第一の横槍は、米倉日本経団連会長らを中心とする経済界からで、これは説明するまでもあるまい。
第2の横槍は、再処理工場の地元である青森県からで、もし国が再処理政策を放棄するのなら、今までに全国各地の原発から県内に運び込まれた使用済み核燃料をすべて元に送り返すと言い出した。国との間にそういう明確な約束が当初から存在するのだから青森県の言い分は至極当然なのだが、不勉強な民主党政権の幹部はどうやらそのことに気がつかなかったらしく、三村青森県知事や地元首長たちの猛烈な抗議に遭って、初めて事態の深刻さに気付いたようだ。
青森県はさらに、以前日本の電力会社がフランス、イギリスに再処理委託して出てきた高レベル廃棄物(ガラス固化体)の受け入れも拒否する構えを示した。これら高レベル廃棄物は英仏から必ず日本に返還される契約になっているので、もし青森県が受け入れてくれなければ行き場を失い大変なことになる。このことも当然知っていなければならなかったのだが、英仏に注意されて途端に民主党は青くなったわけだ。誠にお粗末というほかない。
「三流国に転落してもいいのか!」
3つ目の横槍は、ほかならぬ同盟国アメリカから入った。民主党政権は、9月14日に、2030年代に原発稼働ゼロを目指すとする「革新的エネルギー・環境戦略」をまとめ、これを閣議決定する予定だったが、その直前になって、前原政調会長(当時)や長島首相補佐官(同)を急遽ワシントンに派遣し、米国政府や議会の要人に説明させた。ところが、案の定、先方は異口同音に強い難色を示したようだ。
周知のように、米国政府や議会には、少数ながら強力な核不拡散論者(主に民主党)がおり、彼らはかねてから日本の核燃料サイクル政策に懸念を抱いているが、他方、原発推進派の議員(民主、共和両党)やエネルギー省は日本の政策に一定の理解を示しており、むしろ米国の行き詰まっている核廃棄物処分の参考にしたいと考えているくらいだから、日本の突然の政策変更に困惑し、疑義を呈したようだ。
しかし、それより前原氏らを驚かせたのは、ホワイトハウスや国務省、国防総省(ペンタゴン)などの強烈な反応だった。彼らは、「原発ゼロ」によって同盟国日本の国力が低下すれば、中国の急激な台頭により不安定化しつつあるアジアの安全保障環境が一層不安定化するとみており、そのような事態は米国として看過できないというわけだ。
こうした米国の懸念を最も端的に表現したのは、8月15日に発表されたアーミテージ元国務副長官とナイ・ハーバード大学教授による報告書である。(リンク英語版)両氏ともワシントン切っての知日派で、かつ安全保障・戦略問題の権威とされており、これまでにも日米関係の節目節目で重要な政策提言を行ってきたが、今回は一段とストレートに「日本は原発放棄により3流国に転落してしまってもいいのか」と警告を発している。
「痛くない腹」を探られないために
以上は、言わば一種の外的要因であるが、日本が、日本自身の問題として核燃料サイクル政策を放棄できない別の理由がある。一般にはあまり理解されていないようだが、それはこういうことだ。
日本国内には、もし六ヶ所工場を閉鎖すれば、プルトニウムを燃料とする高速増殖炉が不要となるから「もんじゅ」も不要となるという短絡的な見方が多いようだが、決してそうではない。
なぜなら、日本にはすでに、茨城県東海村にある旧動燃事業団の小型再処理施設で分離された少量のプルトニウムと、英仏に委託再処理して出来たプルトニウムを併せて約45トンが溜まっている(ただし、そのうちの35トンはまだ英仏にあり、日本に実際にあるのは約9トン)。これは単純計算すれば数千発の核兵器を造るのに十分の量と考えられる(実際には原子力炉級プルトニウムでは効率が悪いが。)
問題は、このプルトニウムをどうするかで、もしプルサーマルやFBRで発電用に利用しないとすると、使用目的のない「余剰プルトニウム」を大量に抱え込むことになる。そうなれば、当然日本は国際的に痛くない腹を探られることになる。
つまりこのプルトニウムを使って、日本はいずれの日にか、こっそり核兵器を造り、核武装するかもしれないという疑惑をもたれるのは避けられない。
だからこそ、過去30年間日本政府は、国連や国際原子力機関(IAEA)などの場で、「日本は余剰プルトニウムは一切持たない。核燃料サイクルで手持ちのプルトニウムをすべて使いきる方針だ」と繰り返し宣言してきたのである。
核不拡散と再処理問題で日米が激突-1977年
実は、この話には長い歴史的経緯がある。1970年に核不拡散条約(NPT 核拡散防止条約とも呼ぶ)が発効した後、1974年にインドが「平和目的」と称して独自の核実験を行ったために、米国やカナダ、オーストラリアなどの供給国が危機感を抱き、核不拡散政策を急に強化し始めた。これらの国は、天然ウラン(加豪の場合)や濃縮サービス(米国の場合)の供給能力をテコに、2国間原子力協定により、自国産のウラン燃料の再処理を規制、原則的には禁止する政策を採り始めた。
特に厳しかったのは1977年1月に登場した米国のカーター政権(1977-1981年)で、「米国自身も民生用の再処理と高速増殖炉開発は無期限に中止するから各国も是非そうしてほしい。従わない国とは原子力協力を行わない」と宣言。そして、この新政策の最初の適用国(つまり犠牲者)になったのが他ならぬ日本だ。
折しもその頃旧動燃事業団(現日本原子力研究開発機構)の東海再処理施設が完成し、同年初夏には運転開始というタイミングで、日本としてはまさに出鼻を挫かれた、というよりいきなり横っ面を引っぱたかれたように、国内は大ショック。政府・経済界はもとより、マスコミさえも「国難来る!」の危機感を持って挙国一致、対米原子力交渉に全力を挙げることになった。
実は、ちょうどその時、外国勤務を終えて東京の外務本省に戻ってきた筆者は、この対米原子力交渉の渦中に放り込まれ、直後に創設された外務省原子力課の初代課長として、以後丸5年間、原子力外交の最前線で身を削る経験をした。
ちなみに1977年夏の交渉の日本側代表団のトップは、当時科学技術庁長官兼原子力委員長の故宇野宗佑氏(のちに外相、首相)。片や米側は軍縮担当の大物外交官の故G. スミス大使で、上記のナイ教授やカーター大統領特別補佐官のブレジンスキー教授も参謀として交渉に関与した。このときの日米交渉は、戦後日本が初めて米国と対等に戦ったといわれるほどの激しい外交交渉であった。
「再処理は日本のエネルギー安全保障上不可欠だ」
日米交渉の最大の眼目は、日本にとっては、米国産のウラン燃料を再処理し、抽出されたプルトニウムを軽水炉や高速増殖炉で使用する権利を米国に認めさせること、米国にとっては、日本による再処理を断念させ、それを先例として全世界の核拡散に歯止めをかけることであった。
すなわち、NPTではその第4条で原子力平和利用活動は締約国の「奪いえない権利」と規定しているが、その権利の中味が不明確で、再処理や濃縮も含まれていると解される余地がある(現在イランが自らのウラン濃縮活動を正当化しているのもそのため)。この重大な条約上の穴を、米国は2国間原子力協定交渉で埋めようとし、必死になって日本を抑えにかかったのである。
対する日本は次の政策の根拠を示した。
- 1973年の石油危機の直撃を受けた日本にとって原子力発電はエネルギー安全保障上必要不可欠である。
- しかも資源小国日本にとってウラン燃料は貴重な資源で、最後まで丁寧に利用する必要があり、再処理は不可欠。
- 軽水炉や高速増殖炉でのプルトニウム再利用も必要。
- 他方、日本は原子力基本法で自ら平和利用に限定するとともに、「非核三原則」を国是として定め、かつNPTの加盟国としてIAEAの全面的保障措置 (査察)を受け入れているから、秘密裏に核兵器を造ることはありえない。
- 余剰プルトニウムは一切持たないし、プルトニウムの保管・管理はIAEAの規則に従って最大限厳格に行う、等々と理路整然と主張し、米側の理解を求めた。
こうした主張の正当性は現在でも全く失われていないと思う。
日米交渉は以後延々10年間にわたり断続的に続いた。そして、我が方の必死の努力が奏功し、ついに米国も東海再処理施設の稼働と将来の大型再処理工場(六ヶ所)の建設、英仏への再処理委託、FBR研究開発等を認めた。
1988年に発効した新日米原子力協力協定では、日本は、米国産ウラン燃料の再処理についての「事前同意」を協定の有効期間の30年間(2018年まで)与えられている、つまり事実上のフリーハンドを認められているのである。米国も、同盟国である日本が、再処理を含む原子力発電活動の継続によりエネルギー安全保障を確保し、日本のみならずアジア、ひいては世界のために貢献することは望ましいと考えているからである。
現在日米間では、3.11の教訓を生かして、一層安全な原子炉開発・製造、原発輸出、安全性、廃棄物処分、人材育成など様々な分野での協力活動が活発に進められていることは周知のとおり。野田・民主党政権の「原発稼働ゼロ」政策により、こうした協力活動ができなくなることが両国にとっていかに不利、不幸なことであるかは言うまでもない。
オバマ政権も核燃料サイクルに関心
オバマ政権としても、政権当初掲げた「グリーン・エネルギー」政策が思うように伸びず、基幹電源としての原子力の重要性を再認識し、その観点で日本の核燃料サイクル政策に学ぼうとしていた矢先であるだけに、ここで日本が原子力から脱落しては困るのである。もし共和党のロムニー氏が次期大統領になれば、日本への期待は一層高まるだろう。
米国以外でも、長年日本との協力関係を育んできたフランス、イギリスなど先進国や、今後新たに原子力導入を計画し、日本の援助、協力を期待しているアジア(ベトナムなど)、中東(ヨルダンなど)、東欧等の諸国も同様だ。福島事故にもかかわらず、いやむしろ福島事故を経験したからこそ、今後日本がより一層安全で効率のよい原子炉を造り、それを輸出して世界のエネルギー安全保障に貢献してくれることを切に期待しているというメッセージを日本に確実に送ってきている。
日本の核燃料サイクル維持は国際的責務
重ねて言うが、日本が原子力発電を行い続けることは、日本だけのためではなく、世界のために必要なことである。日本のような経済大国が原発をやめ、大量に化石燃料(石油、天然ガス、石炭)を使えば、燃料価格の高騰を招き、世界のエネルギー需給関係を圧迫し、資源の枯渇を早めるとともに、地球温暖化対策上もマイナスであり、どこの国も喜ばない。原子力導入に熱心な新興国や途上国の期待を裏切ることにもなる。
さらに重要なことは、日本が核燃料サイクル計画を放棄し、六ヶ所再処理工場を廃止すれば、日本国内の使用済み燃料は行き場を失い、また、プルサーマルやFBR「もんじゅ」を廃止すれば、現在すでに溜まっているプルトニウムも使途が無くなり、その結果「余剰プルトニウム」が無為に蓄積され続けば、核武装の疑惑を招く惧れ(おそれ)がある。
福島原発事故の災害に苦しむ人々のことを考えると断腸の思いを禁じえないが、さればとて、確たる見通しのない再生可能エネルギーや省エネに賭けて、半世紀にわたり営々と築き上げてきた原子力を放棄し、核燃料サイクルを廃止する愚は絶対に犯すべきではない。今こそ政府と政治家は、近視眼的なポピュリズム(大衆迎合主義)を排し、国家百年の大局的見地に立った堅実な原子力政策を信念と勇気を持って進めて行ってもらいたい。
金子熊夫(かねこ・くまお)
1937年愛知県生れ。元外交官(初代外務省原子力課長)、元国連環境計画アジア太平洋地域代表、元東海大学教授(国際政治学)。現在外交評論家、エネルギー戦略研究会(EEE)会長。ハーバード大学法科大学院卒業。著書は「日本の核・アジアの核」など。(連絡先) (EEEホームページ)
(2012年11月5日掲載)
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