東工大と東京医科歯科大の統合:新名称「東京科学大」に思う

2023年01月21日 06:40
アバター画像
東京工業大学原子炉工学研究所助教 工学博士

東京工業大学大岡山キャンパス本館
Wikipedia

キマイラ大学

もしかするとそういう名称になるかもしれない。しかしそれだけはやめといたほうが良いと思ってきた。東京科学大学のことである。東京工業医科歯科大学の方がよほどマシではないか。

そもそもが生い立ちの異なる大学を無理やり繋ぎ合わせたキマイラなのであるから、キマイラらしく〝工業〟と〝医科・歯科〟を素直に接合したほうがマシだろう。キマイラとは古代ギリシャ神話に登場する合成生物である。例えば、頭部はライオン、胴部は山羊、後尾は蛇というようなものである。〝工業〟と〝医科・歯科〟を併せて科学と称することで、却って矮小化したように感じる。

キマイラ
ZU_09/iStock

工業には細分化された知を集約・統合して実践的ものづくりによって人々のより良い生活に資するという崇高な精神がある。医はヒトという小宇宙を相手に統合された知がなければ成り立たない。しかるに〝科学〟とは単なる分科の学問にすぎない。科学という語彙は西洋由来の概念であるscienceのとんでもない誤訳なのである。

科学とScience

まず日本語の〝科学〟は、分科の学問または科挙の学問の意味である。明治にサイエンス(science)という英語に出会った西周(江戸時代後期から明治時代初期の啓蒙思想家)がこれを〝科学〟と訳してしまったのである。もう取り返しはつかない。短慮という他ない。蒙を啓くべき思想家にあって、実に蒙昧たるべしという他ない。科学=分科の学問とscienceの間には致命的な違いがあるのである。

英語のサイエンス(science)の原語はギリシャ語のscientica で、知識の意味である。サイエンスは狭義には観察や実験によって確かめられた事実であり検証や追試が可能な自然科学を指すが、それを広げて科学的方法論に基づいて得られたあらゆる知識を指す。そしてさらに広義には体系化された知識(knowledge)の集まり全体を意味する。

つまりscienceにおいては、分科の学問を構成する○○科と□□科の境界領域にあって相互を関係付けている何物かがより重要な意味を持ってくる——それこそがこの宇宙の根本的な仕組みであると言って良い。

科学は分科の学問であるから、専門知識を極めることを重視するが、専門知識間の関係性にはマインドが及ばない。当然ながら「理科」も「文科」もともにサイエンスの一部分に過ぎないが、本来両者は相補的関係をもって知識間の関係性にもっと心血をそそぐべきであろう。しかし、「科学」と表意した途端にそのマインドが致命的に欠落して行ってしまうのである

明治の頃に『学問のすすめ』という書も出たが、これは分科の学問のすすめのことをいう。つまり分化された分野に精通した専門家という人材が当時は必要だったのである。いわゆる専門性を極めることが善であったのである。近代化を急いだ当時の国情が背景にあった。

専門バカ

私は約30年前ドイツから帰国して東工大に職を得たが、当時の部門の長に専門性を極めろ、さもなければ将来(職のステップアップ)はないと諭された。その時大いに違和感を感じた。大学の意義は専門性を極めることはもちろんだが、むしろその統合がもっと重要なのではないか。オレに専門バカになれというのか・・・と。

2011年の東日本大震災・福島第一原子力発電所事故以降、私はTV新聞WEBなどのメディアに頻出してきた。その都度「専門は何ですか?」と聞かれる。単なる専門家じゃあないんだけどなあ、そんなに狭い専門分野に閉じ込めたいのぉ?と内心思いながらも、「原子核工学にでもしといてください」と答えることにしてきた。

科学帝国主義時代

左:湯川秀樹 右:アインシュタイン
出典:Wikipedeia

科学者といえばまずは物理学者という時代があった。日本でいえば日本人ノーベル賞第一号(物理学賞)の湯川秀樹。世界でいえば、アルバート・アインシュタイン。当時は万事が物理で解明されるべしという幻想があった。

1920年代のオルテガ
出典:Wikipedia

そのような風潮をして哲学者オルテガは「物理帝国主義」と1923年の彼の哲学講義の中で批判した。昨今の若者は湯川秀樹といってもピンとこないらしいが、アインシュタインはお笑い芸人の名称でもあるのでその名前ぐらいは知れ渡っているのだろう。

湯川の愛弟子である坂田昌一は、仲間の一団と訪中し毛沢東に謁見した際に、「毛沢東主義(共産主義のひとつ)の理論的正当性は素粒子物理学によって証明されるでしょう」と息巻いたという説がある——その真偽のほどは定かではないが、弁証法に精通していた坂田らしいエピソードだと思う。

近頃大学の文系の学問分野はあまり役に立っていないのではないか——今後GX時代に向けてIT人材が大いに不足するので、大学の文系を〝理転〟すべしというような馬鹿げた論調が政府筋から発信されるようになってきていた。

そしてついに先だって、『文部科学省は、デジタルや脱炭素など成長分野の人材を育成する理工農系の学部を増やすため、私立大と公立大を対象に約250学部の新設や理系への学部転換を支援する方針を固めた。今年度創設した3000億円の基金を活用し、今後10年かけ、文系学部の多い私大を理系に学部再編するよう促す構想だ』(読売新聞)と報じられた。気でも狂ったのか!?

https://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/kyoiku/news/20230112-OYT1T50041/

これって、科学帝国主義時代の幕開け? 科学専門バカを量産するのか・・。東京科学大学がその急先鋒にならないことを願うばかりである。

1970年に没した坂田昌一は当時の明治生まれの知識人らしくいわゆる文・理に精通していたので、以下の名言を遺している。

「イノベーションは必ず学問の境界領域で起こります」
「創造の領域は境界にあることは間違いありません」

もって瞑すべし。

東京科学大学は東京境界領域大学としたほうが日本のみならず世界の将来に貢献できるのではないか。

This page as PDF
アバター画像
東京工業大学原子炉工学研究所助教 工学博士

関連記事

  • 東日本大震災で事故を起こした東京電力福島第一原子力発電所を5月24日に取材した。危機的な状況との印象が社会に広がったままだ。ところが今では現地は片付けられ放射線量も低下して、平日は6000人が粛々と安全に働く巨大な工事現場となっていた。「危機対応」という修羅場から、計画を立ててそれを実行する「平常作業」の場に移りつつある。そして放射性物質がさらに拡散する可能性は減っている。大きな危機は去ったのだ。
  • 日本経済新聞の元旦の1面トップは「脱炭素の主役、世界競う 日米欧中動く8500兆円」でした。「カーボンゼロには21~50年に4地域だけでエネルギー、運輸、産業、建物に計8500兆円もの投資がいる」という、お正月らしく景気
  • 国際エネルギー機関(IEA)が「2050年にネットゼロ」シナリオを発表した。英国政府の要請で作成されたものだ。急速な技術進歩によって、世界全体で2050年までにCO2の実質ゼロ、日本の流行りの言葉で言えば「脱炭素」を達成
  • 6月9日(正確には6〜9日)、EUの5年に一度の欧州議会選挙が実施される。加盟国27ヵ国から、人口に応じて総勢720人の議員が選出される。ドイツは99議席と一番多く、一番少ないのがキプロス、ルクセンブルク、マルタでそれぞ
  • 関西電力をめぐる事件の最大の謎は、問題の森山栄治元助役に関電の経営陣が頭が上がらなかったのはなぜかということだ。彼が高浜町役場を定年退職したのは1987年。それから30年たっても、金品を拒否できないというのは異常である。
  • 前回ご紹介した失敗メカニズムの本質的構造から類推すると、米国の学者などが1990年代に行った「日本における原子力発電のマネジメント・カルチャーに関する調査」の時代にはそれこそ世界の優等生であった東電原子力部門における組織的学習がおかしくなったとすれば、それは東電と社会・規制当局との基本的な関係が大きく変わったのがきっかけであろうと、専門家は思うかもしれない。
  • 田中 雄三 温暖化は確かに進行していると考えます。また、限りある化石燃料をいつまでも使い続けることはできませんから、再生可能エネルギーへの転換が必要と思います。しかし、日本が実質ゼロを達成するには、5つの大きな障害があり
  • 日本は「固定価格買取制度」によって太陽光発電等の再生可能エネルギーの大量導入をしてきた。 同制度では、割高な太陽光発電等を買い取るために、電気料金に「賦課金」を上乗せして徴収してきた(図1)。 この賦課金は年間2.4兆円

アクセスランキング

  • 24時間
  • 週間
  • 月間

過去の記事

ページの先頭に戻る↑