成長に資さないカーボンプライシング
EUの気候変動政策に関して、去る12月18日に開催されたEUのトリローグ(欧州委員会、欧州議会、欧州理事会の合同会合)で、懸案となっていたEUの排出権取引制度ならびに国境調整措置導入に関する暫定的な合意が成立した。
そこではEUのCO2排出量のおよそ4割を占めるEU- ETS(排出権取引制度)対象セクターからの2030年排出削減目標を、従来の43%から62%に引き上げると同時に、鉄鋼、アルミなど国際競争に晒されている多排出産業に対して無償で配賦されてきた排出権(つまりカーボンプライスがタダの排出権)を、2026年から段階的に有償化していくことが規定されている。
無償枠は26年に2.5%削減され、以後27年5.0%、28年10%、29年22.5%、30年48.5%と加速度的にへらし、2034年には100%削減、つまり事業活動から出る排出量全量をオークションで有償調達しなければならなくなる。
この排出削減目標の強化と無償配布枠の段階的縮小は、これまで無償配布により実質的にカーボンプライス負担を免除されてきたEU域内のエネルギー多消費・CO2多排出輸出産業にとって、いよいよ本格的な炭素排出ペナルティが課されることを意味する。その結果、カーボンコストを負担しないで生産された海外からの輸入品に対して、EU域内産業が価格競争力を失い、域内市場を奪われる懸念が生じる。
さらに、より炭素排出の大きな輸入品に代替が進むことで地球規模の排出増にも繋がる(いわゆるカーボンリーケージを招く)として、EUの産業界は強く抵抗してきたのだが、その対応策として検討されてきた国境調整措置(CBAM)の導入についても、今回同時に合意された。
CBAMは、EU域外から輸入される鉄鋼、アルミ、セメント、肥料などの製品が輸出国での製造される際に排出したCO2対して、EU企業がETSの下で負担するのと同様のカーボンプライスを課すという、いわゆる国境炭素税制度である。
この制度の課題は、輸出国における製造時CO2排出量と、それに課された輸出国での炭素価格(炭素税、排出権価格等の総額)を把握し、それと同様の製品がEU域内で課される炭素価格との差額を計算して、通関時に相殺するという計算が複雑になることにある。また、そうした課徴金は環境対策に偽装された輸入障壁であり、WTOルールに反するのではないかという通商上の懸念もあり、慎重に検討が進められてきた。
今回の決定では、まず2023年10月から25年末までの15か月を移行期間として、輸入品に対する排出関連データの収集、開示だけを求め、輸出事業者側の対応準備を促した上で、2026年から国境調整課金を行うということになっている。EU域内で26年から段階的に無償配布が削られ、炭素価格が課されるのに合わせて、輸入品にも同等の炭素価格を課すことで、域内産業の競争力を維持しようというわけである。
しかし今回の決定に対して、CBAM対象セクターの一つである欧州鉄鋼協会(Eurofer)は、輸出競争力の維持に関する具体的な対策が示されておらず、450億ユーロに上る輸出ビジネスの存亡の危機に晒されるとして、強い懸念を示している。
輸入品に対して国境で炭素価格を課すというCBAM制度は、EU域内市場を失うリスクを解消することはできても、高い炭素価格を課されたEU域内製品の輸出競争力を維持する効果はない。EUに比べて炭素価格が安い国や地域、米国のように炭素価格がない国に対して、2026年以降、EU域内の産業は輸出競争力を維持できないだろう。
それを調整するためには、EUからの輸出品に対して域内で課される炭素価格を還付するという、いわゆる輸出リベートが必要となり、実際その可否についてEU内部でも検討されてきた。しかしそうした輸出リベートは、WTOルール違反になるとの懸念があり、今回の決定には含まれていない。
こうした産業界の懸念に対して今回の合意は、2025年末までに欧州委員会がそのリスクを評価し、「必要な対策をWTOルールに準拠した形で提示する」と述べるにとどまっている。これが何を意味するか詳細は不明だが、通商専門家によるとWTOルールに準拠した輸出品への課金還付はありえないという。そもそも同じ鋼材製品について、EU域内と輸出で異なる一物二価の価格体系で取引すること自体に、無理があると言わざるを得ない。
さらに今回のEUの決定のもう一つの課題は、迂回輸出への対応である。仮に鉄鋼やアルミといった素材の輸入に対して、CBAMで炭素価格の調整を行ったとしても、輸出国側でそうした素材を加工して作られた機械や自動車などの完成品、あるいは部品やコンポーネントなどの中間製品の輸入に対してCBAMを課すことは、手続きが複雑になりすぎて困難である。
一方EU域内で高い炭素価格を課された鉄鋼やアルミなどを使って製造された、EU産の自動車や機械などの加工製品が、国際市場で価格競争力を失う懸念もある。結局EUの産業界にとって、国際的にみて高い水準の炭素価格が課されれば、たとえCBAM制度を組み合わせたとしてもEU製品の国際競争力の足を引っ張ることになる。
実際にこのカーボンプライシング制度が運用され始めるのは、CBAMの移行期間が終了する2026年からになるため、まだ紆余曲折はあるかもしれないが、このままいけばEU経済にとって「成長に資するカーボンプライシング」にはならないとして、産業界から悲鳴にも近い懸念の声が上がっている。
関連記事
-
8月に入り再エネ業界がざわついている。 その背景にあるのは、経産省が導入の方針を示した「発電側基本料金」制度だ。今回は、この「発電側基本料金」について、政府においてどのような議論がなされているのか、例によって再生可能エネ
-
先日、「ESG投資がインデックス投資よりもCO2を排出?」という記事を書きました。Investment Metrics社のレポートで「欧州の気候変動ファンドがMSCIワールド・インデックスよりも炭素排出量への影響が大きい
-
米ホワイトハウスは、中国などCO2規制の緩い国からの輸入品に事実上の関税を課す「国境炭素税」について、支持を見合わせている(ロイター英文記事、同抄訳記事)。(国境炭素税について詳しくは手塚氏記事を参照) バイデン大統領は
-
アゴラ研究所の運営するエネルギーのバーチャルシンクタンクであるGEPR(グローバルエナジー・ポリシーリサーチ)はサイトを更新しました。
-
IPCCの報告がこの8月に出た。これは第1部会報告と呼ばれるもので、地球温暖化の科学的知見についてまとめたものだ。何度かに分けて、気になった論点をまとめてゆこう。 IPCC報告を見ると、不吉な予測が多くある。 その予測は
-
筆者は、三陸大津波は、いつかは分からないが必ず来ると思い、ときどき現地に赴いて調べていた。また原子力発電は安全だというが、皆の注意が集まらないところが根本原因となって大事故が起こる可能性が強いと考え、いろいろな原発を見学し議論してきた。正にその通りのことが起こってしまったのが今回の東日本大震災である。
-
IPCC第6次評価報告書(AR6)の第1作業部会(自然科学的根拠)の政策決定者向け要約(SPM)が発表された。マスコミでは不正確なあおりやデータのつまみ食いが多いので、環境省訳を紹介しよう。注目される「2100年までの気
-
猪瀬直樹氏が政府の「グリーン成長戦略」にコメントしている。これは彼が『昭和16年夏の敗戦』で書いたのと同じ「日本人の意思決定の無意識の自己欺瞞」だという。 「原発なしでカーボンゼロは不可能だ」という彼の論旨は私も指摘した
動画
アクセスランキング
- 24時間
- 週間
- 月間