必要な情報が政治家に伝わらない — エネルギー問題、「政治主導」の弊害を振り返る
“多くの人は、自分が見たいと欲する現実しか見ていない”
ユリウス・カエサル
エネルギー・環境問題を観察すると「正しい情報が政策決定者に伝わっていない」という感想を抱く場面が多い。あらゆる問題で「政治主導」という言葉が使われ、実際に日本の行政機構が政治の意向を尊重する方向に変りつつある。しかし、それは適切に行われているのだろうか。(写真は2009年の総選挙前の民主党ポスター)
一例として、日本の温暖化政策で2009年に鳩山由起夫首相(当時)の「25%削減」表明を取り上げてみたい。過去の事例だが、政治主導の意思決定の危うさを伝えるために、振り返る意味はあるだろう。
間違った情報に基づく意思決定
鳩山首相(当時)は「2020年までに温室効果ガスの排出量を年比で25%削減する」という目標を政権交代直後の2009年9月の国連総会で表明した。「25%減」は、同年の総選挙でマニフェストに民主党が書いた公約だった。それまでの自民党政権のときの目標は15%減だった。25%減は突然の表明で、国内調整を経たものではない。鳩山氏は発表時点も、その後も積算根拠を示さなかった。
翌10年3月、地球温暖化対策基本法案(以下温対法案)が閣議決定され、この目標は達成可能性を検討しないまま法案に盛り込まれた。同法は採決の優先順位が低く、2012年に廃案になってしまう。しかし、公式には今でも鳩山首相の言葉は公式には取り消されず、曖昧なままになっている。民主党政権で繰り返された「政治主導」の失敗の一つだ。
鳩山前首相は25%削減の理由について、衆議院予算委員会(09年11月4日)で次のように答弁している。
「IPCC(国連・気候変動に関する政府間パネル)の第4次の評価報告書というものがその間に出て参ったわけでございまして、平均の気温の上昇を工業化以前に比べて二度以下におさめるためには、二酸化炭素濃度を450ppm(編注・二酸化炭素濃度、現時点は390ppm前後)に抑えなければならないと。そのことを達成させるためには、2050年には80%あるいは前倒しして2020年においては最低でも25%削減しなければならないとしています」。それに基づいて、これを達成させることが「日本の大きな役割」であり、このことを提唱することで「他の国々にもよい影響を与えるという期待」から「大胆な提言に至った」という。
しかし、この答弁の内容は間違いだ。
第一にIPCCは、そのようなことは言っていない。第二にIPCCは各国政府に命令や要請をする組織ではない。
つまり、鳩山氏は誰も言っていないことを、政策の根拠にした。温暖化規制策は国のエネルギー使用の抑制と密接に関係する。鳩山氏の25%削減案は、現実に行えば日本経済の姿を膨大な負担と共に大きく変えかねないものだ。この事実は冷静に考えると、大変恐ろしいことだ。一国の首相が空想と間違った情報で、国の重要政策を決めたことになる。
鳩山発言に根拠はない
「2度上昇に抑える」という目標が、温暖化問題を語る時に、国際社会で頻繁に語られる。これは産業革命以前の気温から2度以内に上昇幅を抑えなければ、生態系に損害が起こるという考えだ。
しかし2度上昇した場合に、リスクはあるものの「どのようになるか」は、分からない。IPCC第四次報告(第2作業部会(気候変動の影響))の政策決定者向け要約(環境省確定訳)で次のような表現の言及をしている。
「世界平均気温が1990年‐2000年水準より最大二度上回る変化は、現在の主要な脆弱性を一層悪化させ、また、多くの低緯度諸国における食料安全保障の低下など、その他の脆弱性ももたらすだろう」。つまり「影響があるかもしれない」ことを指摘しているにすぎないのだ。鳩山氏の発言のように政治目標化することは、意味のないことだ。
次に鳩山氏の国会答弁に登場した2度に抑えるためには「(IPCCが)2050年に80%あるいは前倒しして2020年においては最低でも25%削減しなければならないとしている」という言葉を検証する。
そのようなことをIPCCは言っていない。「80%の削減」に言及している部分はある。IPCCの第3作業部会(気候変動の適応策)報告の第3章では、温室効果ガスの削減シナリオを調査して、それを紹介している。(経産省確定訳)その177本の削減シナリオのうち、6つのシナリオで検討されたものにすぎない。
政策情報を政治家が活用していない
IPCCとは、国連が主導して、世界の気候変動、エネルギー政策の研究者が集まった組織だ。2007年にはノーベル平和賞を、アメリカのアル・ゴア元副大統領と共に受賞した。
ただし日本では「温暖化に警鐘を鳴らしている組織」と誤解されている。また「それを純粋な科学者がIPCCで地球の危機を警告し、汚れた政府や産業界と対立している」。こんなステレオタイプの印象がつくられているように思う。
しかし、これまで4回発表された報告書を読むと、その印象は正確ではない。発表される報告書、また同時に発表される「政策決定者向要約」は、温暖化をめぐる論文を集め、「科学研究ではこのようなことが指摘されている」というレビューを重ねているものだ。表現に断言はなく、また政策提言もしていない。これは各国の合意で運営される国連機関であるため当然だろう。
そして政策決定者要約は、日本文で約300ページの書籍だ。本編は英文で3000ページにもなる。筆者は英語力に乏しいため、本文を読むのは途中で挫折した。
おそらく鳩山氏は、この膨大な文章を読んでいないだろう。そして各中央官庁は鳩山氏の答弁に関わっていないはずだ。
専門家が関与した形跡がない政策決定
なぜこんな状況が起こったのか。各政治問題で奇矯とも言える行動を繰り返した、鳩山氏の個性が影響していることは間違いない。しかし、この間違いは日本の意思決定の根本的な問題である「専門家の知恵をうまく使いこなせない」ということにつながっているように思える。
民主党への政権交代の当初、同党は「マニフェスト」「政治主導」を連呼し、「官僚にべったり」と自民党政権を批判した。確かにその点はあり、このスローガンは国民の支持を集めた。
民主党の環境政策を担当したのは福山哲郎参議院議員だった。福山氏は政権交代前に、自民党政権と差別化するために、環境政策で日本の政策NPOや政府を批判する学者を集め、意見を聞いていた。その中で影響力を持ったのは、NPO環境エネルギー政策研究所の飯田哲也代表だったとされる。飯田氏は東日本大震災と、福島原発事故後、反原発の主張と電力会社攻撃で目立った人で、やや考えが一方向に偏向していると評価できる人だ。
民主党は2009年の総選挙で、エネルギー問題で「3つの柱」を掲げた。再生可能エネルギー買い取り制度(FIT)、排出権取引、炭素税の実施を公約した。政権交代前から飯田氏らのグループが主張した政策案だ。また民主党はそれに加えて、京都議定書にも復帰を検討すると表明していた。ところが2013年の現状を見ると、いずれもうまくいっていない。そもそも先行して実施した欧州では09年当時からこれらの政策の弊害が目立っていた。
エネルギー、温暖化問題の有識者で、鳩山氏に適切なアドバイスをする人がいた形跡はない。おそらく鳩山氏は、官僚組織を使いこなすという発想がなく、党内で知識があり、外務副大臣(鳩山内閣)、官房副長官(菅内閣)という要職を歴任した、福山氏の提言を丸呑みしたのだろう。
しかし福山氏の意見は、考えが偏向した民間研究者の意見に強い影響を受けた形跡がある。鳩山−福山のラインに情報を吹き込んだ人が、自分の利益のために意図的に情報をゆがめたのか、勉強不足だったのかは不明だが、結果を見ればその提供情報は間違っていたと、評価できる。
福島原発事故後の民主党菅政権の、エネルギー・原発政策の迷走は多くの人に知られるように、ひどいものであった。菅首相は、原子力・エネルギーの専門家、また官僚組織の助言を断り、独善的な指示を連発した。エネルギー・環境政策で、こうした独善性のある政治主導の危険は、鳩山政権の時にすでに現れていたのだ。
専門家の知恵を活かす配慮を
エネルギーは必要とされる知識の専門性が強く、業界と官庁などの「プロ」が、政策での意思決定、また実務を主導する領域である。しかし少数で同質の「プロ」は、誤った場合に、その是正が行われづらい。福島原発事故は、そうしたプロの思い込みと、慣れによる手抜きのもたらした惨事だった。
だからと言って逆に専門性の低い人々が、政策を主導するのも問題だ。素人が政策を左右する恐ろしい状況も、私たちは民主党政権の「政治主導」によって経験した。
政策、意思決定をめぐる適切な意思決定の方法は、適切な単一の答えがあるわけではない。しかし、私たち日本人、そして日本政府が経験した失敗を振り返ると、「やってはいけないこと」は分かる。専門家に委ねすぎること、また専門家の知恵を活用しないことはいずれも危険だ。
今、エネルギー問題は原発をめぐり、再稼動が議論になっている。また温室効果ガスの規制についての国際的枠組みづくりが、2015年までの策定を目指して協議中だ。誤った意思決定から教訓を汲み取らなければ、再び間違った判断を繰り返す可能性がある。
政治家と政府の意思決定でも、民間での政策監視、提言、そして議論でも、専門家の知恵を適切に使うバランスのある判断をすることが必要ではないだろうか。
(2013年6月24日掲載)
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