葛西会長講演要旨「正しいことを貫くには?」
JR東海の葛西敬之会長が日本原子力学会シニアネットワーク連絡会のシンポジウム「原子力は信頼を回復できるか?」で8月3日に行った講演の要旨は次の通り。
公益事業の類似性
私は一介の鉄道会社の人間で、専門家の前でエネルギーの話をするのは戸惑う。
しかし企業としてエネルギーと鉄道は似た面がある。公益事業でサービスを止めてはならないこと、そして行政と政治に影響を受けるなどの点だ。
東京電力と電力業界は今、福島原発事故とその後の混乱で経営の危機に直面している。また原子力の将来に不透明感がある。私は国鉄の経営の崩壊に直面したが、分割民営化という内部からの改革によってJRへと再生する仕事に関わった。一常識人としての意見だが、参考になればと思う。
非常時の仕事での方向の見つけ方
私は1963年に国鉄に就職した。これまでの仕事は、どれも非日常的なものだった。前例がない、地図のない道を歩いてきたように思う。
非日常の世界を進む時には、必要な条件があると、今振り返ると思う。トップダウンでなければならない。リーダーが、組織に従うのではなく、組織の牽引をする。現実は好ましくないものが大半だ。しかし解決策は多くの場合には分かる。それを打ち出し、周囲を説得し、実行することが必要になる。
組織では衆議、政治では民意に多くの人が配慮してしまう。もちろん人の意見を集めることは必要だ。しかし慮(おもんばか)りすぎると、何も動かない。組織での目的達成は、リーダーが牽引しなければならない。リーダーがいなければ、自分が牽引するしかない。誰かが踏み出すことによって、組織も事態も動く。
大事故を企業が克服するには
私は1963年に国鉄に入社した。62年に内定が出た時に、三河島事故がおこった。160人が亡くなる大事故だった。1963年に入社するとその年に、鶴見事故が起こり、161人の方が亡くなった。国鉄の信頼は地に落ちた。信頼回復のために、国鉄はその後は徹底的に安全を追求した。
1964年には東海道新幹線の運行を開始した。メディアも、多くの人も、大事故が起きると予想した。ところが起こらなかった。反省に立っての改善を重ねた結果だ。
大事故の直後には、メディアも識者も国鉄の「利益至上主義」、その結果もたらされた「過密ダイヤ」が原因とした。社内では必要ないという議論があったものの、国鉄は首都圏の主要路線の複々線化などの投資をした。それが1960年代後半からの赤字の引き金になってしまった。
しかし事故の原因は、そうではなかった。安全性は最新の運行システム、列車や設備の更新、安全文化の浸透で高まった。どの鉄道も今、60年代よりはるかに過密なダイヤになっているのに鉄道事故の数は減っている。メディアも「過密ダイヤ」批判などなくなった。
この国鉄の経験は原発問題に似たところがあり、さまざまな示唆を与えると思う。公共サービスの提供は安全が第一であることは言うまでもない。しかし、それだけが求められない。合理的な価格で、高品質、高頻度のサービスをお客さまに提供することが目的なのだ。
安全を過度に追求したら、経営のバランスを欠くことがある。安全はサービス提供を「ゼロ」にすることでも得られるが、それではいけないだろう。実績を示し続ければ、メディアも、世論も、理解を示してくれる時はくる。
原子力は、リスクが存在することを認めた上で、英知を絞れば管理できるであろう。私は専門家ではないが、実例から判断してのことだ。米海軍の大型艦艇は原子力化されているが、これまでの50年、致命的な大事故は起きていない。事故を経験した日本の原子力関係者は、その経験と反省を活かし、原子力の安全性を高められるはずだ。関係者の一段の努力を期待している。
現在の技術では、低価格で安定的な電気を獲得する手段として、原子力を電源の中に組み込んでいかなければならない。それが産業と生活を支える。日本は無資源国なのだ。
国鉄改革が進まなかった理由
国鉄は1987年の分割民営化まで6回の改革案を出した。私はそのうち4回の策定の中心になった。しかし作りながら、ダメになると思っていた。経営では問題の中心を考えなければいけない。国鉄で常に問題になったのは、人件費の大きさだった。80年代には、収入は3兆円で支出が5兆円。支出のうち8割は人件費であった。しかし人員の整理には、組合の反対が強かった。さらに当時の冷戦構造下での政治情勢があって、政権を持つ自民党が改革案を示す一方で、社会党が組合と結んで、人員削減に反対した。そのために手をつけられなかった。改革案でも骨抜きにされた。
国鉄再建の途上では運賃値上げも常に行われた。しかし、国営という問題があり、また与野党の政治的な駆け引きに使われてしまい、適切に行えなかった。
電力事業の特徴は、支出の4−5割が燃料費、次が設備費であることだ。原発の再稼動ができなければ、燃料費を圧縮できず、一番のコスト要因が取り除けなければ経営の上で手の打ちようがないだろう。あたかも出血が続くように、体力が次第に弱るジリ貧状態は危険だ。これが経営の面からも原発再稼動を早急に行わなければならない理由だ。
意見を聞きすぎると、物事は進まない
国鉄は1976年、77年に2年で50%の値上げができた。その時、政党系の団体が何度も陳情に訪れた。そのとき皆上司が逃げてしまい、運賃担当の班長だった、私が対応を引き受けることが多かった。
公共サービスの値上げで、消費者が怒ることは当然だろう。しかし、この人たちは「サービスを増やせ」などの要求も突きつけてきた。私が、「分かりました。しかしそのお金はどうするのですか。もっと赤字が増えてしまいます」と聞いた。すると、その陳情団は、その政党らしく「『民主的な経営』をして人々の意見を聞け」と言った。それを突っぱねると「官僚的な独裁者だ」とか「ブルジョワめ」とか、私に罵声や捨て台詞を残して帰っていった。
また1980年代は労務担当をした。内部では人員整理が進まなかった。昔からの慣行で、労務担当者は組合の意向ばかり聞いていた。会社側が、組合幹部を接待し、銀座のバーの飲食までしていた。
経営が厳しく給料が増えないと、組合は、なるべく仕事を楽にすることを求めた。どの職場も余剰人員を抱えすぎていた。そして人を減らすことに抵抗した。これは組合の「横暴」と、今でも言えるだろう
私はこうした交渉方法をやめた。必要な文章を内容証明郵便で送った。そして「質問がなければ、異論がないと見なします」と通告した。こうして組合を交渉の場に引き出した。42万人の人員を20万人まで減らすまで交渉を続けた。再就職対策は大変だったが、やらなければ国鉄は完全に崩壊していた。このように他人の意見を聞きすぎては、改革などできないのだ。
国鉄改革が動いたのは大義名分、つまり正当性が改革派にあったことだった。「国鉄を生き返らせる」という正しい目的があった。反対派には対案がなかった。手段の合理性は正当性があれば、たいてい見つかるものだ。
ただし私一人だけでは改革ができなかった。仲間がいたし、それぞれの場でリーダーがいた。国には中曽根康弘首相が分割民営化で揺るぎなかったし、総裁、また当時の運輸次官も引かなかった。持ち場持ち場で、一歩を踏み出すリーダーがいたからこそ、中堅の私も立ち上がることができた。一歩踏み出した人を一人で反対派の「十字砲火」にさらしてはいけない。
武士の教養書として知られる『葉隠』に、「武士道は死ぬことと見つけたり」という言葉がある。私は必要なときに、人はすべてを投げ打って、正しいことを貫くべきことを教える警句だと考えている。そういう覚悟が、物事を切り開く前提になる。
民主党政権の問題
民主党は、自分の考えがない政党だった。自分の考えがないと他人に影響されてしまう。民主党はポピュリズム(大衆迎合主義)に陥ることが多かったが、震災、原発事故対応はそれが極端な形で出た。国民の間にパニックが一時的に起こるのは、初めての経験である以上仕方がないだろう。ところが民主党の政治家は、他人のパニックを見て自らがパニックに陥って、そしてさらにパニックを増幅させてしまった。民主党政権は、リーダー不在の組織、愚かな為政者、ポピュリズムが国を誤らせてしまう危険を示す政治史上のよい実例であろう。
問題は「放射能への過剰な恐怖感」を民主党政権は生んだことだ。もちろん、放射能は対応によっては危険だが、今の日本の状況は、数多くの科学的な知見を参考にすれば、人体に影響がある可能性は少ない。一歩踏み込んで「大丈夫だ」と、なぜ政府が強いメッセージを実態が判明した時点で強く打ち出さなかったのか。そして、なぜ科学的な知見をもっと熱心に広げなかったのか。そのために今でもメディアは危険情報一色だ。事態が難しい方向に動いてしまった。
それに伴って起こった問題がいくつもある。第一の問題は原子力発電を全面停止する政策だった。経験のない政策であったのに、事前にまったく準備や検討を重ねていなかった。その結果はどうか。今年2013年にはLNGなどの燃料費の増加で4兆円の国民負担が増えてしまう。原発の再稼動を原子力規制委員会がなかなか認めないため、その停止は長引くだろう。このまま国富が流失すれば、経済への悪影響は間もなく出てくる。
第二の問題は、東京電力が、事故の責任を第一義的に負うという形にしたことだ。もちろん責任はあるが、すべて引き受けなければならないというのは、法律上も、また道理の上でも疑問がある。
これに関係した第三の問題は、除染基準である。現在、福島で年1ミリシーベルトまで被ばくに抑えるとしている。これは実現不可能で、福島の被災者の方々の帰宅、そして地域の復興が遅れている。この基準の設定には、科学的根拠はないのだ。
さらに第四は賠償の問題だ。基準を明確にせず、またすべてを東電に負わせるという形のために、被災者の方の生活再建という目標を越えて、無規律な状況に陥っている。何でも東電に補償させようとしているのだ。
菅政権の失敗によって撒かれてしまった悪しき政策の種は大きくなりつつある。安倍政権は安定多数を衆参両院で得て、ねじれを解消した以上、この是正をしてほしい。この種は間もなく芽吹いてしまうだろう。このままでは民主党の失敗が、自民党の失敗に転じてしまう。そしてその失敗の影響を私たち日本国民一人ひとりが、背負ってしまうことになる。
残された時間は、今年夏の間の数ヶ月であろう。真っ先にこの問題に手を付けなければいけない。是正しなければ、アベノミクスは原発、エネルギー政策で失速する。政権は英断を持って、悪しき政策を是正してほしい。
「社会の空気」を変える
原発をめぐる世論は厳しい。そして正論を言えないという、日本によくある「空気」のこわばりが原発をめぐって起こっている。
電力業界には、日本国民は愚かではないのだから、正常化を待っていればよいという態度があるようだ。その考えは分からないでもない。しかし賢明な日本国民でも、道を誤ることがあるではないか。太平洋戦争に日本がなだれ込んだのは、言論が封殺され、正論が言えず、ポピュリズムを許した結果ではないのか。
国鉄改革で参考になる話をしたい。世の中には「流れ」がある。私たちが国鉄の内情をすべて明らかにして、「もうこのままでは国鉄は完全に崩壊する」と分かったときに、世論もメディアも、民営化容認に動いた。国民負担が現実になりかねないと、自らの問題となったときに、世の中の雰囲気が転換した。これだけではない。どの問題もあるきっかけを境にして、「水が高きから低きに流れる」ように、自然な方向に状況が変わることがある。
電力会社は「電気代が高くなってもいいのですか」と、間もなく一般消費者に事実をはっきり言わなければならなくなるだろう。それが転換点になるかもしれない。
しかし、そのためには一歩を踏み出して正論を示してほしい。ただし、その場合には先ほど述べたように、「正当性」がなければならない。
高品質のエネルギーを安定的かつ低価格で供給することが経済と社会の土台だ。関係者の奮起を期待している。
(2013年8月5日掲載)
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