「原発は危険だ。だからゼロに」 — 菅元首相の発言から考える(上)
政策家の石川和男さんが主宰する霞が関政策総研のネット放送に、菅直人元首相が登場した。
この記事では菅氏の発言をそのまま伝え、その後に私の批判的な意見を加えて、日本の原子力・エネルギー政策の混迷の背景を考えたい。
「原発は危険だ。だからゼロにしなければならない」
菅氏は2011年9月まで首相を務め、東日本大震災、福島原発事故の初動対応からエネルギーをめぐる重要な決定を次々に行った。以下が主なものだ。
- 震災を受けて中部電力浜岡原発を2011年「東海地震の危険性がある」という名目で、要請によって同社に止めてもらった。これには、法律上、また科学上の根拠はない。
- その後、大規模災害での余裕度の検査である「ストレステスト」を各原発に要請した。これも法律上の根拠はなく、要請だった。ところがテスト終了後、菅氏主導で旧経産省に属した原子力保安院を解体し、独立行政機関である原子力規制委員会が2012年秋に発足した。同委員会が新基準に基づく審査を行うために、そのテストは無意味となった。
- 再生可能エネルギーの固定価格買取制度関連法(通称再エネ促進法)を成立させた。
- 東電を破綻処理せず、存続させる形で賠償と、事故処理を担わせた。
一連の政策は、2年以上が経過して悪影響が大きくなっている。全国の原発は停止し、その結果、電力各社は赤字に陥った。追加の燃料の購入費は、12年度は約2兆8000億円、13年度予測は3兆8000億円になり、化石燃料の輸入急増による貿易赤字が定着した。法律に基づかない原発の停止は、エネルギー政策と企業活動を混乱させている。
この一連の政策の背景にある考えを、菅氏は放送で繰り返した。「原発は危険だ。だからゼロにしなければならない」。
この考えは単純すぎる。広い視点で問題を考えなければならない政治家が持つべき発想ではない。
あらゆる物事にはリスクがつきものだ。一つのリスクに過度に注目して対策を打つことによって別の問題が生じる。菅氏の発想は「交通事故で毎年何千人もの人が亡くなるから、自動車をなくそう」というのと同じような、単純なものだ。
この考えをはじめとして、菅氏の発言の多くに私は同意できなかった。そして、この見識で日本の政治が運営されたことを残念に思った。
菅氏の見解の詳細を知りたい方は著書「東電福島原発事故 総理大臣として考えたこと」(幻冬舎)を参照いただきたい。
菅直人氏の発言要旨(一問一答)
写真1 菅直人氏
−首相退任後、どのような一日を送っているのですか。多くの方が知りたがっています。
議員として国会には出席しています。脱原発運動や再生可能エネルギーの勉強会、また市民集会には時間をつくって参加して、自分の考えを伝えようとしています。
さらに各国の原子力問題のシンポジウムに退任後は頻繁に招かれます。また原発や視察をしています。歴史上例のない原発事故に総理大臣として向き合ったため、その体験を話すと、多くの方が真剣に聞いていただけます。米国のカリフォルニア、ボストン、台湾で反原発運動の集会に招かれ、講演をしました。
−海外での反原発運動というのは、どのようなものでしょうか。
日本だけが激しくなったと思ったのですが、そうではありません。どの国も普通の人が、参加しています。台湾では人気俳優が集会に参加していました。「日本では芸能界でそんな発言をすると干されるそうだ」というと、「台湾ではそんなことはない」と言われました。言論の自由の面で、日本より進んでいるかもしれません。
−再生可能エネルギーの視察を国内外で繰り返しているそうですね。
再エネは脱原発とコインの裏表の関係にあります。ヨーロッパでは、発送電分離は当たり前で、送電会社と消費者が自然エネルギーを選択できるようになっています。
(スペイン、ドイツの自然エネ、デンマークの風力と水素の利用、地中熱、地熱、断熱基準などを菅氏は説明)
こういう仕組みを組み合わせれば、脱原発は可能です。まず「原発ゼロ」と決めれば、こうした取り組みが日本でも導入されるでしょう。
−何で原発ゼロを主張するようになったのですか。
原発事故直後に決めました。それまで私は安全性を確認すれば、原発を活用するという立場でした。ところが事故が起こりました。最初の数日は、官邸の執務室に泊まり込みましたが、目がさえて眠れませんでした。その時に考えていたのは、事故が拡大したらどうしようというものでした。
その後、近藤俊介原子力委員会委員長に被害をシミュレーションしてもらったのですが、それは福島原発事故から250キロ圏から人が避難しなければならないというものでした。そこに住んでいる人は5000万人です。紙一重の差で、その事態にならなかったのです。今でも16万人の方が、避難生活を続けています。それも大変なことです。このように原発には、一度事故が起きた場合に、取り返しのつかない状況が起きます。
ですから、私は原発をゼロにすると決め、徐々にですができる対策をしました。発電における原発の割合を30年代までに50%に引き上げるとしたエネルギー基本計画の見直しを指示しました。
運命的ですが、3月11日の午前に閣議決定をしたFIT(再生可能エネルギーの固定価格の買取制度)の法案成立の努力をしました。紆余曲折があって私は9月に首相を退任することになりますが、そこで退任条件としてこの法律の成立を挙げました。さらに原子力の安全基準を強化した検査をするようにも指示しました。
−次の野田政権では、民主党の政策として、「2030年代に原発ゼロを目指す。そのためにあらゆる政策資源を投入する」としました。これはあなたの主張が織り込まれたのですか。
私は2030年より前に、「原発ゼロ」を実現できると思いますので、この決定は私の意見ではありません。しかし目標をつくることが大事と思って、それを認めました。ゼロという目標が決まれば、それをつくる、投資をするという人が国内でいなくなります。
−原発ゼロは簡単なことでしょうか。リードタイムや手段を検証すべきではないでしょうか。
原発ゼロは可能です。そして手段のことばかり言っていって、リードタイムを永遠に続けようという人もいるので、注意するべきでしょう。手段よりも、目標が大切です。この2年、日本では節電が進み、原発なしでも、国民生活や経済活動は破壊的な状況になっていないでしょう。ドイツはエネルギー使用量が減ったのに、経済成長を成し遂げました。
−電気料金が上がっており、国民生活に問題は起こっています。電力会社の経営も厳しくなっています。
長い視点で見たら、原発のコストは高いのです。コスト負担は一時的な問題にしかすぎません。使用済核燃料は処分方法が決まっていないし、核燃料サイクルもうまくいっていない。高速増殖炉「もんじゅ」は止まったまま。そういう見えないコストが、上乗せされていたのです。原発を稼動させれば、今の時点で電力会社は利益が出るかもしれません。しかし、それは会計上の仕組みで、再処理の負担を先送りしているだけです。
小泉さん(元首相)とはこの問題で話したことはありませんが、彼はフィンランドのオンカロ処理場を見て、「放射性廃棄物の10万年先の安全は保証できない」と考えたことが、脱原発の主張をしたきっかけとされています。
原発は危険です。そのリスクは巨大すぎるのですから、ゼロにししてリスクをなくすのが、当然の考えでしょう。
–テレビ司会者のみのもんた氏の降板が「原子力ムラ」の謀略の可能性があると述べた、あなたのブログ記事が話題になりました。(記事)この真意を教えてください。
私はみのもんた氏の息子の事件に関しては、マスコミ報道以上のことは知りません。私は、可能性を指摘したにすぎません。ただし、原子力ムラの圧力は凄まじいものがあります。みのさんは、原子力に批判的でしたから、そうした圧力がかかった可能性はあるのです。
原子力では、電力会社は気前良く、お金をばらまいてきました。そして学会、産業界にも影響力を持ちます。それを見て、人は言いたいことはいえなくなる。公害問題の時の市民運動でも同じことが起こりました。政治の世界でも、出世しようとするには、財界や電力に配慮してしまう。原子力について異論を唱えると変わり者扱いされてしまいます。
私も、そうした原子力ムラの圧力を受けました。私に上がってきた情報が間違ったり、事故対策で原子力ムラから攻撃を受けたりしました。
例えば東京電力は、原発で「海水注入を止めさせたのは菅総理」というウソの情報を流しました。私は言っていません。それを読売、産経新聞が掲載し、現総理の安倍氏が11年5月に、自らのメルマガに書きました。これは福島原発事故後、原発ゼロにかじを切った私を総理辞任に追い込もうとした原子力ムラの「陰謀」と言えます。私は安倍総理を名誉毀損で訴え、訴訟は続いています。
以下「エネルギー・原子力政策はなぜ混迷したのか?−菅元首相の発言から考える(下)
」に続く
(2013年11月5日掲載)
関連記事
-
山梨県北杜市の環境破壊の状況は異常で、もう取り返しがつかなくなっている。現場を見て、次の問題が浮かび上がる。第一の論点として、「環境にやさしい」という良いイメージで語られる太陽光が、一部地域では景観と住環境を破壊しているという問題がある。
-
広野町に帰還してもう3年6ヶ月も経った。私は、3・11の前から、このままでは良くないと思い、新しい街づくりを進めてきた。だから、真っ先に帰還を決意した。そんな私の運営するNPOハッピーロードネットには、福島第一原子力発電所で日々作業に従事している若者が、時々立ち寄っていく。
-
実は、この事前承認条項は、旧日米原子力協定(1988年まで存続)にもあったものだ。そして、この条項のため、36年前の1977年夏、日米では「原子力戦争」と言われるほどの激しい外交交渉が行われたのである。
-
英国のEU離脱後の原子力の建設で、厳しすぎるEUの基準から外れる可能性、ビジネスの不透明性の両面の問題が出ているという指摘。
-
GEPRとアゴラでは、核燃料サイクル問題について有識者の見解を紹介した。そして「日本の核武装の阻止という意図が核燃料サイクル政策に織り込まれている」という新しい視点からの議論を示した。
-
提携する国際環境経済研究所(IEEI)の理事である松本真由美さんは、東京大学の客員准教授を兼務しています。
-
「ドイツが余剰電力を望まない隣国に垂れ流し、今年の冬には反目が一層深まるであろう」「東欧が停電の危機にある」。米系経済通信社のブルームバーグが、ドイツの風力発電の拡大で近隣諸国が悪影響を受けている状況を10月26日に伝えた。記事は「ドイツの風力発電による負荷で、東欧諸国が停電の危機」(Windmills Overload East Europe’s Grid Risking Blackout)。
-
朝日新聞、5月7日記事。東京電力福島第一原発の事故後、FAOが定期的な検査を行っている福島県産の食品の安全性について、「現時点で問題はないと確信している」と述べ、引き続き態勢を維持することが重要だとした。
動画
アクセスランキング
- 24時間
- 週間
- 月間