処理水問題は安倍首相の「貯蓄過剰」だった

2020年10月17日 18:00
アバター画像
アゴラ研究所所長

福島第一原発の処理水問題が、今月中にようやく海洋放出で決着する見通しになった。これは科学的には自明で、少なくとも4年前には答が出ていた。「あとは首相の決断だけだ」といわれながら、結局、安倍首相は決断できなかった。それはなぜだろうか。

政治家の人気を政治的資本(political capital)と呼ぶことがある。安倍首相は第1次内閣では「戦後レジームからの脱却」などの理念を打ち出したが、政治的反発を呼んで1年足らずで退陣に追い込まれた。その反省から第2次内閣では「デフレ脱却」で政治的資本を蓄積し、安保法制や憲法改正などの不人気な政策に投資するつもりだったのだろう。

ところが安保法制で2015年の国会が大混乱になり、このあおりで憲法改正も公明党が反対して行き詰まった。この状況を打開するために、経済政策は慢性的な景気刺激になった。消費税の増税は2度も延期し、日銀の量的緩和は果てしなく続き、利害対立の生じる原子力や規制改革のような政策には手をつけなかった。その結果、政治的資本は蓄積されたが、結局それを使わないまま退陣してしまった。

「リスク回避」が長期停滞をもたらす

これは日本経済の問題と似ている。マクロ経済的にみると日本の最大の問題は、企業が貯蓄過剰になっていることだ。いわゆる内部留保(利益剰余金)が460兆円、そのうち現預金が210兆円もある。カネを借りて投資する企業がカネを貸している状況で経済が成長できないことは自明である。

それにはいろいろな原因があるが、一つは企業が過剰にリスク回避的になったことだ。人口減少で国内には新しい投資先がなくなり、確実にプラスの金利がつくのは国債だけなので、企業は預金し、銀行は国債を買う。これは個々の企業にとっては合理的だが、経済の効率は上がらず、長期停滞が続く。これは景気刺激ではどうにもならない。

安倍首相のようにリスクを避けて政治的資本を蓄積しても、それを処理水のような人のいやがる政策に投資しないと、廃炉費用はふくらみ、電気代は上がり、製造業は日本から出て行く。その意味では処理水問題は、日本経済の「失われた30年」を象徴する失敗だった。

菅首相はそれを意識して、厄介な宿題を片づけているようにみえる。学術会議も占領統治の遺制という意味では、安倍首相の残した宿題である。手法はちょっと荒っぽいが、安倍首相のような安全運転では何もできない――それが彼を官房長官として見てきた菅氏の教訓ではないか。

This page as PDF

関連記事

  • IPCCの報告がこの8月に出た。これは第1部会報告と呼ばれるもので、地球温暖化の科学的知見についてまとめたものだ。何度かに分けて、気になった論点をまとめてゆこう。 IPCCの報告では、20世紀に起きた地球規模での気温上昇
  • 1.2050年カーボンニュートラル及び2030年度削減目標の実現に向け、国民・消費者の行動変容、ライフスタイル変革を強力に後押しするため、新たに「脱炭素につながる新しい豊かな暮らしを創る国民運動」(仮称)を開始します。
  • 笹川平和財団が発表した「プルトニウム国際管理に関する日本政府への提言」が、原子力関係者に論議を呼んでいる。これは次の5項目からなる提言である。 プルトニウム国際貯蔵の追求:「余剰」なプルトニウムを国際原子力機関(IAEA
  • 東京電力福島第一原子力発電所の事故を検証していた日本原子力学会の事故調査委員会(委員長・田中知(たなか・さとし)東京大学教授)は8日、事故の最終報告書を公表した。
  • G7貿易相会合が開かれて、サプライチェーンから強制労働を排除する声明が発表された。名指しはしていないが、中国のウイグル新疆自治区における強制労働などを念頭に置いたものだとメディアは報じている。 ところで、これらの国内の報
  • アゴラ研究所の運営するネット放送「言論アリーナ」を公開しました。今回のテーマは「エネルギー問題この1年」です。 今年はエネルギー問題の中心が原子力から地球温暖化に移ったようにみえます。この1年のエネルギー問題を振り返り、
  • 去る4月22日から経済産業省の第13回再生可能エネルギー大量導入・次世代電力ネットワーク小委員会において、「電気事業者による再生可能エネルギー電気の調達に関する特別措置法」(いわゆるFIT法)の改正議論が始まった。5月3
  • 厚生労働省は原発事故後の食品中の放射性物質に係る基準値の設定案を定め、現在意見公募中である。原発事故後に定めたセシウム(134と137の合計値)の暫定基準値は500Bq/kgであった。これを生涯内部被曝線量を100mSv以下にすることを目的として、それぞれ食品により100Bq/kgあるいはそれ以下に下げるという基準を厳格にした案である。私は以下の理由で、これに反対する意見を提出した。

アクセスランキング

  • 24時間
  • 週間
  • 月間

過去の記事

ページの先頭に戻る↑