思想・文化問題としての捕鯨・イルカ漁問題
思想と文化からの新しい視点
捕鯨やイルカ漁をめぐる騒動が続いている。和歌山県太地町のイルカ漁を批判的に描写した「ザ・コーヴ」(The Cove)が第82回アカデミー賞長編ドキュメンタリー映画賞を受賞したのは、記憶に新しい。
2014年1月にキャロライン・ケネディ駐日アメリカ大使(@CarolineKennedy)が「米国政府はイルカの追い込み漁に反対します。イルカが殺される追い込み漁の非人道性について深く懸念しています」とツイッターに投稿したことで、再び関心が高まった。また捕鯨に関しても、2月2日のシー・シェパードによるもののように、日本の調査捕鯨のたびに妨害が繰り返されている。
これらに対する日本側の反論としては、池田信夫氏の「ケネディ駐日大使の自民族中心主義」が典型的なものであり、本稿の結論もまた池田氏の主張とほぼ同様である。本稿では、これらの問題を思想・文化問題として考えてみたい(なお、本稿では主として捕鯨問題について述べるが、イルカ漁にしても問題の構造は同一である)。
19世紀の欧米、タブーでなかった捕鯨
周知の通り、欧米諸国でも捕鯨は盛んに行われてきた。大西洋や北極海などで乱獲を行い、鯨資源をほぼ壊滅させて以降、彼らは太平洋に進出し捕鯨を行った。特徴的なのは、鯨油とヒゲのみを目的にしていた点である。
鯨肉を食用にすることはほとんどなく、鯨のヒゲは女性の下着やコルセットの芯、傘の芯として、鯨油は燃料油や機械油などに用いられた。ペリーが来航し開国を迫ったのも、日本近海の「ジャパン・グラウンド」と呼ばれた海域にマッコウクジラの大群が発見され、捕鯨船の母港が必要となったからである。彼らが必要としたのは鯨の体重の1割にも満たない鯨油であり、鯨肉は捨てられていた。
欧米諸国が鯨を必要としなくなったのは、石油の発見と石油や植物性油脂を原料とする代替品の開発により、鯨油利用に経済的かつ合理的な理由がなくなったためである。H・メルヴィルの『白鯨』(Wikipedia)を読めば、19世紀において鯨が特別視されているわけでも尊重されているわけでもなかったことが明らかだ。鯨を人間に近い存在として特別視するまなざしは、捕鯨しなくても済む状況下でのみ成立するものなのである。
日本で鯨は生活、食に密接だった
これに対し、日本列島では縄文時代からイルカや鯨類が利用されていた。鯨肉は食糧として消費され、銛などの鯨骨製品や鯨骨の文様を施した鯨底土器も出土している。『古事記』には座礁したイルカ(「寄り鯨」)を神からの贈り物として感謝する旨の記述があり、『吾妻鏡』には座礁した鯨から鯨油を採ったという記述がある。
また料理書の『四条流包丁秘伝書』(1490年頃刊行)などの記述から、15~16世紀にかけて鯨は価値の高い食品として認められ、宮中や政治的権力者への贈答品として珍重されていたことが窺える。さらに1697年刊行の『本朝食鑑』(Wikipedia)の記述からは、17世紀には鯨の肉、油、内臓、骨から尾、陰茎、ヒゲ、歯に至るまでほぼ余すところなく有効利用されていたことがわかる。鯨は、日本においては極めて重要な資源だった。戦後も、鯨肉が貴重な蛋白源であったことはいうまでもない。
筆者にとっても鯨肉は縁遠いものではない。高知県在住の親戚から時折鯨肉が送られてきていたため、なじみ深い食材である。折しもイベント「海のジビエくじらを食べるナイト!」が開催されたので、取材がてら参加した。
驚いたのは、その料理の豊富さである。慣れ親しんだ大和煮や皮の酢味噌和えなどはもちろん、バジルステーキやカレーなど、若者好みの新感覚の鯨料理に舌鼓を打った。冷凍や輸送技術向上により、臭みもなく柔らかい。抗疲労物質・バレニンが豊富で魚肉や豚肉等の畜肉アレルギーのある人も食べられるので、食材としての有用性はまだ存分にある。鯨肉を蛋白源とする必要性がなくなった以上、捕鯨の必要性はないと判断するのは時期尚早である。
「動物解放運動」という20世紀の潮流
欧米と日本の鯨・イルカをめぐる捉え方の違いは、思想・文化問題としてきわめて興味深い事例である。欧米には、神と人間と動物を峻別して人間以外の被造物は人間の利益のために存在するとみなし、動物を利用あるいは保護の対象にするという価値観がある。利用から保護へという欧米型捕鯨の転換は、そのことを象徴している。現在では、鯨やイルカは人間に近い知性をもった動物として保護の対象とされ、捕鯨やイルカ漁が「非人道的行為」として糾弾されるのである。
とりわけシー・シェパードに代表される反捕鯨運動は、倫理学者のピーター・シンガー(Wikipedia)とトム・リーガン(Wikipedia・英語版)を代表とする20世紀の動物解放運動の系譜に位置づけられるだろう。厳密には両者には相違点もあるが、動物の福祉や権利という観点から動物の感覚能力を認め、できるかぎり苦痛を与えず、やむなく苦痛を与えなければならない場合はその軽減をめざすという点で共通している。
20世紀の欧米で「発見」された、人間と同様の感覚を持った存在としての鯨やイルカは後述するような供養や儀礼の対象とはならず、苦痛の軽減という「技術」や条約等による捕鯨禁止という「法」の対象となったのである。
宗教上、動物の死と向き合った日本
日本においては、国学者・本居宣長(もとおり・のりなが 1730-1801年)(Wikipedia)が指摘しているように超越的パワーを持つものすべてが「カミ」として崇拝対象となる。たとえば菅原道真(845-903年)のように、超人的な力を持つ人が神として祀られ信仰対象になった例は、枚挙にいとまがない。そして鯨やイルカもまた、異界から現世に来訪する来訪神としてとらえられた。
民俗学者・折口信夫(おりくち・しのぶ 1887-1953年)(Wikipedia)は、日本の祭の原型を異界から来訪する「まれびと」を賓客として扱う饗応に見出した。かくして鯨やイルカが豊漁をもたらす神「エビス」とされて漁撈信仰に結びつき、畏怖の対象となったのである。
それゆえ、日本の捕鯨は儀礼としてもシステム化されていった。捕鯨道具は神事によって「ケガレ」を落とされ、たとえば太地では「組仕出祝」(くみしだしのいわい)として、出漁日(「組出」)前に酒宴が設けられ、歌に合わせて「羽指踊り」をして豊漁を願う予祝儀礼が行われた。出漁後も様々な儀礼がなされ、「鼻きり」という儀礼で捕鯨が終了する。
浜へ戻る途中にも、磯に設けられた神社やエビス神である海鳥に鯨肉を投げて感謝する「初穂儀礼」が行われる。17世紀には、「カンマン」と呼ばれる神官が御幣を捧げて祝詞を唱えていたという。これらの儀礼を経て、浜では祝祭が繰り広げられたのである。
他方、日本でも捕鯨やイルカ漁の「残虐性」は認識されていた。だが、残酷だからといって一方的にそれらを糾弾・禁止する方向には向かわなかった。鯨やイルカは人間と連続する存在として「共感」の対象となり、擬人化されて「死後儀礼」がなされ、捕獲された鯨は埋葬・供養された。各地に残る鯨墓、供養塔、鯨骨塔、絵馬はその名残であり、なかには鯨に戒名が付けられ過去帳や位牌が残っている事例もある。
たとえば18世紀建立の太地町東明寺の鯨墓には、鯨と人間が共に成仏することを願う碑文が記されている。とりわけ、母子鯨や母体から胎児が見つかった際には手厚く供養されたという。神から賜った鯨だからこそ余すところなく用いて供養するというのが、日本の捕鯨の特徴であるといえよう。日本では長らく、鯨やイルカは信仰や儀礼といった「文化」の対象であったのである。
日本の祭での神と人との一体化
民俗学者・柳田國男(やなぎた・くにお 1875-1962年)(Wikipedia)は、日本の祭の最大の特徴として「直会」(なおらい)を挙げている。神と人とが同一のものを食べる共食を指すと考えてよい。神前に捧げられた「神饌」(しんせん)を下ろし、氏子が共食するのである。このようなあり方は、たとえば古代ユダヤ教におけるホロコースト(獣を丸焼きにして神前に生け贄として供える際の「丸焼きの供物」、すなわち燔祭を意味する)とは対照的である。
生け贄にされる羊や山羊などの血はすべて注ぎ流され、肉は完全に焼き尽くされ、人間の口にはまったく入らない。獣は神のみに捧げられており、共食は許されていない。神と人と動物が完全に峻別されており、それぞれの立場が交わることがないのである。
稲作文化を中心に「日本」のあり方を考えた柳田にとって、神饌の中心はコメと酒であった。しかし捕鯨後の祝祭もまた、鯨肉を中心とした直会にほかならない。
中心に直会と信仰があり、それによって共同体が形成・維持されていくというのが、柳田や折口が見出した日本の共同体のあり方であった。したがって、捕鯨やイルカ漁は単なる食糧確保や資源保護の問題ではなく、信仰や文化、思想と密接に結びついた共同体形成・維持の問題でもある。
それゆえ、「残酷だから」と感情的に非難したり思考停止したりすることなく、そこに現れた文化の多様性・多元性を尊重することがまず求められる。問われているのはアメリカの文化的寛容性であり、「コメ中心主義」「コメ中心史観」を乗り越えて地域文化の多様性を尊重し、それを他の文化圏に向けて丁寧かつ粘り強く解説・発信する日本人の知性のあり方なのである。
(2014年2月17日掲載)
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