福島第一原子力発電所事故と今後のエネルギー政策
0.はじめに
東日本大震災の全ての被災者の方々、特に福島第一発電所の問題により避難されている方々に心からの御見舞いを申上げたい。
また、福島第一発電所で厳しい状況の中でも危険を顧みず事故対策に携わっておられる全ての方々の責任感に敬服しその御努力に感謝するものである。
1. エネルギー政策と原子力発電
1-1. 過去10年のエネルギー政策は「京都議定書」の数量制約の下「原子力発電」の動向に一喜一憂してきたことを再考すべき:今次問題においても慎重な検討が必要
過去10年のエネルギー政策においては、京都議定書のエネルギー起源CO2排出削減の約束水準が大前提の数量制約として君臨してきたと言える。当該約束水準の下では、エネルギー政策の選択肢は「負担の大きい省エネ・新エネ」か「リスクのある原子力発電」か「海外排出権購入」かという3択であった。
仮に、現行の京都議定書の約束水準を維持したまま今後長期にわたり原子力発電の開発利用が進められないとするならば、当該約束水準を遵守するためには負担の大きな省エネ・新エネの実施や大量の海外排出権購入を続けざるを得ないことになる。
従って、今後「原子力発電段階撤廃」政策を執るとするならば、実行可能な省エネ・新エネ政策の水準を見極めた上で現在の「京都議定書」の約束水準の側を大幅に上方修正する必要がある。更に「原子力発電段階撤廃」政策を執った場合には価格が不安定な化石燃料への依存を再度高める訳であり、原子力事故のリスク低減と引換えに相応の経済影響が生じることを覚悟しなければならず、慎重な検討が必要である。
1-2. 短期的対応:当座数年間の震災復興過程ではエネルギー環境政策は一時凍結すべき
一方、当座の電力供給は設備整備が容易な天然ガス火力やディーゼル発電などに依存せざるを得ず、環境保全政策から見れば当然「手戻り」となる。しかし、被災地の復興において環境アセスメントやCO2問題を振りかざしエネルギー供給の回復を妨げることは人道上許されない行為であろう。
従って当座数年間の東日本においては、残念ながらエネルギーの安定供給政策が優先されるべきであり、エネルギー環境政策は一時凍結すべきと思われる。
被災地に再生可能エネルギーの導入を進めることは長期的に見れば有益ではあるが、家財を失った被災者に割高なエネルギー利用を強いるのは早期の生活再建を妨害する懸念があり、当座はむしろ控えるべきかも知れない。
1-3. 中長期的対応:今後のエネルギー政策を考える上での最大の論点は「今回の事故は他の原子力発電所において防げるか?」という一点に収斂
今回の事故を踏まえ今後策定される新たな安全基準に照らした際に、原子力発電所の安全基準適合が技術的に困難で、電力会社が対応を躊躇するのであれば、「原子力段階撤退」政策を大前提としてエネルギー政策を見直すことになろう。この場合、既存原子力発電所には暫定的に入念な地震・津波対策を講じた上で、高齢化した原子力発電所から随時廃止していくことが現実的な対応である。
一方、当該新たな安全基準に照らした際に、なお多くの既存原子力発電所が安全基準に適合し、電力会社が積極的な対応を進めていくのならば、基準に適合できない一部の原子力発電所を閉鎖・廃炉した上で、従来の「安全確保を大前提とした原子力発電の推進」政策へ回帰することは可能と思われる。
ここで、中庸的な「原子力発電新設凍結」政策は却ってリスクが増える懸念があることに注意が必要である。少なくとも「旧型炉の更新・建替」までをも妨げることに合理的な理由はないと考えられるからである。以下にその理由を述べる。
2. 福島第一原子力発電所事故と論点- 「今回の事故は他の原子力発電所で防げるか?」-
2-1. 設備面から見た事実関係整理:炉齢と津波対策による影響
今回の事故は、東京電力福島第一発電所が大津波に襲われたことに起因する全電源喪失と「炉心冷却水喪失」事故であるが、同時に津波に襲われた原子力発電所の多くは大事故に至っていないことに注目する必要がある。
図2-1-1:東日本大震災による原子力発電所の被害と炉齢・大津波対策
大津波に対し一定の対策が講じられていた東北電力女川・日本原電東海第二発電所では、襲来した津波の規模や頻度に差はあるにせよ、外部電源や非常用発電機が確保されており冷温停止に成功している。
一方、大津波に対しての対策は十分とは言えないものの、新型である東京電力福島第二発電所では外部電源の復旧と冷却系の応急修理を早期に完了し、冷温停止に成功している。
同様に、東京電力福島第一発電所の中であっても新型の6号とこれに隣接・接続されていた旧型の5号は、同じく定検中であった旧型の4号と異なり、危機的状態に陥りつつも非常用電源を融通・復旧させて冷温停止に成功している。
また、今回の津波とは直接関係がないものの、中部電力は東海地震・津波想定への対応などを問題として旧型の浜岡1・2号を2008年に廃炉している。
2-2. 設備面から見た考察
以上のことから、「十分な大津波対策を実施していない旧型で運開後30年以上の原子炉の一部」が今回の規模の津波により全電源喪失から「炉心冷却水喪失」という大事故に至ったものと考えられる。
一方、運転開始後30年未満の新型原子炉では、襲来した津波の規模など条件の差異はあるものの外部電源や非常用発電機を確保・復旧し冷温停止に成功している。
また、旧型で炉齢30年以上の炉であっても、適切な大津波対策が実施されていたり、隣接する新型から非常用電源が融通できた場合には冷温停止に成功しているという点は重要である。
2-3. 運用・管理面での事実関係整理:過去のトラブル等発生率推移
原子力発電所の事故時の応急対応能力や被害局限能力を見る上では、各発電所の過去のトラブル等の発生率推移を観察することが有益である。緊急時にはごく些細なトラブルが取返しのつかない深刻な事態を招くことが常だからである。
原子力施設情報公開ライブラリ(NUCIA)データベースによる1999〜2010年のトラブル等発生率を炉齢別・型式別に比較した場合、今回事故を生じた福島第一などの旧型沸騰水型(BWR)ではトラブル等発生率が非常に高頻度で推移している。
東京電力の発電所別トラブル等発生率を見た場合、2002年以降福島第一・第二発電所ではトラブル等発生率が激増しており、その後福島第二では減少に転じたが、福島第一では微減で推移し「高止まり」となっている。従って潜在的なトラブルが現場での応急対応能力や被害局限能力を低下させていたものと推察される。
一方、東京電力以外の旧型沸騰水型(BWR)については、日本原電敦賀1号・東海2号では極めて高頻度のトラブル等が生じていたが、中国電力島根1号はほぼ国内総平均並で推移するなど、企業別・発電所別に大きな差異が見られる。
図2-3-3:東京電力福島第一旧型BWRトラブル等発生率推移
図2-3-4:東京電力以外の旧型BWRトラブル等発生率推移
2-4. 運用・管理面での考察
東京電力福島第一発電所では、過去5年以上にわたり国内総平均値を超える頻度でトラブル等が発生しており、事故時の応急対応能力や被害局限能力において潜在的な問題があったものと推定される。
このような高いトラブル等発生率が生じてしまった背後には、東京電力による原子力発電所修繕費の支出状況が少なからず影響していたと考えられる。
各電力会社の有価証券報告書による1980〜2009年の原子力発電所設備容量当修繕費を見た場合、多くの電力会社が高経年化対策や地震対策などを背景に2005〜2009年頃から修繕費を増加させていたが、東京電力は修繕費を横這いで推移させていたことが観察される。
※ 厳密には各号機毎の修繕費推移などを吟味する必要があるが当該情報は公開されていない。
図2-4:電力会社別5年平均設備容量当原子力発電所修繕費推移
3. 結論
3-1. 今回の事故は他の原子力発電所で防げるか?
今回の事故が防止できたものか否かについての最終的な判断は、事故についての科学的・客観的な検証結果を待たなければならない。そもそも事故自体がなお予断を許さない状況にあり、特に炉心への海水注入から始まる一連の事故対応の妥当性についての判断は今後の検証に委ねられるべきであろう。
しかし、筆者はこれ迄述べたように原子力発電所の設備面や運用・管理面での事実関係を比較整理した結果から見て、「非常用発電機の浸水対策など地震・津波対策の設備投資を惜しまず、相応の修繕費支出などにより事故時の応急対応能力や被害局限能力を涵養強化していたならば、今回の事故は回避や大幅な被害局限ができた可能性が高い」と考えている。
3-2. 何が問題であったと考えられるか?
設備面の問題を経営判断という視点から見た場合、「旧型炉と大津波のリスク」について、中部電力は廃炉・建替という判断を行い、日本原電は相応の浸水対策投資という判断を行ったが、東京電力は他社の対応を認識していながら、福島第一の旧型炉に対してあたかも「何もしないという賭け」をする旨を経営判断していたかのように見える。
同様に、運用・管理面の問題を経営判断という視点から見た場合、多くの電力会社が原子力発電所の設備容量当修繕費を増加させたが、東京電力はこれを横這いのまま推移させるという経営判断を行い、結果として福島第一での機器更新・補修に支障を生じトラブル等発生率の「高止まり」を招き、事故時の応急対応能力や被害局限能力についての潜在的な問題を黙過してしまったと推察される。
さらに、こうした過去10年間の東京電力の経営判断に対して、規制当局がこれを有効に是正・改善し、安全を確保するための措置を講じてきたか、という論点も存在する。
3-3. 今後どのようにエネルギー政策の検討を進めるべきか?
従って、今後策定される新たな地震・津波に関する安全基準が、新たな原子力保安組織の下で厳格に運用され、電力会社がこれに真摯に対応して行動するならば、筆者は原子力発電が近い将来に信頼回復を成遂げ、現在の「安全確保を大前提とした原子力発電の推進」政策へと回帰できる可能性は十分残っていると考えている。
勿論信頼回復のためには御迷惑を御掛けした方々への十分な補償に加え、長い時間と多くの労力が必要であろう。
一方、筆者は上記「安全確保を大前提とした原子力発電の推進」政策への回帰を唯一の選択肢と考えている訳ではない。何故ならば、エネルギー政策において原子力発電はエネルギーを供給する有効な手段の一つではあるが、決してそれ自体が目的ではないからである。事実2001年の議論の際には「原子力発電段階撤廃」政策は選択肢の一つとして検討対象となっている。今後様々な選択肢についての経済的・社会的影響を同一の前提条件の下で科学的・客観的に予測・評価し、政策選択のための判断材料を準備していくことが必要である。
更に最終的な政策選択に当たっては、新たな安全基準下での原子力事故のリスクと今後の経済影響を冷静に比較衡量することが重要であり、慎重な判断が行われることを期待するものである。
(本コラムの主要部分は2011年4月に書かれた)
備考
– 100万kW級原子力発電所1基を石炭火力発電所で置換えた場合 –
100万kW級の原子力発電所が稼動率80%で1年間運転した場合には電力量70.1億kWh、エネルギー量(二次換算)25.2 PJ を発生する。
これを発電効率40%の石炭火力発電所で置換えた場合、以下のとおり発電費用負担やエネルギー起源CO2排出量が増加することになる。
- 現状の輸入一般炭価格は約¥400/GJで核燃料と比べ燃料費が約¥2.5/kWh高いため、一般炭価格が不変でも発電費用は年間約 175億円増加する。
- 一般炭は 24.7tC/TJの炭素を含有しているため、年間約 572万tCO2の温室効果ガスが排出される。
戒能一成(かいのうかずなり)RIETI研究員。研究領域は制度設計工学、計量経済学など。IPCC NGGIP ENERGY Lead Author、国連気候変動枠組条約CDM理事会理事、東京大学公共政策大学院非常勤講師、慶應義塾大学産業研究所研究員、原子力損害賠償支援機構参与なども兼ねる。
関連記事
-
グレートバリアリーフのサンゴ被覆面積が増えつつあることは以前書いたが、最新のデータでは、更にサンゴの被覆は拡大して観測史上最大を更新した(報告書、紹介記事): 観測方法については野北教授の分かり易い説明がある。 「この素
-
このたび「エネルギードミナンス:強く豊かな日本のためのエネルギー政策(非政府の有志による第 7次エネルギー基本計画)」を発表しました(報告書全文、150ページ)。 杉山大志と野村浩二が全体を編集し、岡芳明、岡野邦彦、加藤
-
GEPRは日本のメディアとエネルギー環境をめぐる報道についても検証していきます。筆者の中村氏は読売新聞で、科学部長、論説委員でとして活躍したジャーナリストです。転載を許可いただいたことを、関係者の皆様には感謝を申し上げます。
-
前回、日本政府の2030年46%削減を前提とした企業のカーボンニュートラル宣言は未達となる可能性が高いためESGのG(ガバナンス)に反することを指摘しました。今回はESGのS(社会性)に反することを論じます。 まず、現実
-
経営方針で脱炭素やカーボンニュートラルとSDGsを同時に掲げている企業が増えていますが、これらは相反します。 脱炭素=CO2排出量削減は気候変動「緩和策」と呼ばれます。他方、気候変動対策としてはもうひとつ「適応策」があり
-
菅首相が昨年末にCO2を2050年までにゼロにすると宣言して以来、日本政府は「脱炭素祭り」を続けている。中心にあるのは「グリーン成長戦略」で、「経済と環境の好循環」によってグリーン成長を実現する、としている。 そして、「
-
国会事故調査委員会が福島第一原発事故の教訓として、以前の規制当局が電気事業者の「規制の虜」、つまり事業者の方が知識と能力に秀でていたために、逆に事業者寄りの規制を行っていたことを指摘した。
-
苦しむドイツ ウクライナ紛争に伴ったロシア制裁と、その報復とみられるロシアによる欧州への天然ガス供給の縮小により、欧州の天然ガス価格は今年に入って高騰を続け、8月半ばには1メガワットあたり250ユーロと、3月の水準から約
動画
アクセスランキング
- 24時間
- 週間
- 月間