ベトナム戦争体験者の証言(下)-「後方」「エネルギー安保」を考える材料として
(上)から続く
大義なき戦争での犬死だけはしたくない
ただ、当時痛切に感じたことは、自国防衛のための止むを得ぬ戦争、つまり自分が愛する者や同胞を守るための戦争ならともかく、他国同士の戦争、しかも大義名分が曖昧な戦争に巻き込まれて死ぬのは「犬死」であり、それだけは何としても避けたいと思ったことだ。
実は最近クリント・イーストウッド監督の「アメリカン・スナイパー」という映画を見たが、主人公の米軍の伝説的狙撃手が過酷な戦場であれだけ活躍できたのも、そうした大義が心の支えになっていたからだろう。太平洋戦争で死闘を繰り返した日米両軍の将兵も同様だったはずだ。特攻隊員の場合は特にそうだっただろうと思う。
しかし、それにしても、イラクやアフガニスタン戦争を見ても、およそ現在の戦争は、益々非人間化し、あたかもゲーム感覚の殺し合いのような面があり、それだけに生身の兵士の苦悩が直に伝わってくる。つくづく大変な時代になったものだと思うし、そうした苦境に立たずに済むためには、国民一人一人が国の外交戦略や防衛政策をわが身の問題として真剣に考えなければと切に思う。
戦後のベトナムとの付き合い−日越協力関係の推進
さて、筆者のベトナム戦争体験談は、このまま続けるときりがなくなるので、いずれ詳しく回想録にまとめておくことにして、この機会に、戦後の筆者とベトナムとの関係を簡単に記しておきたい。
ベトナム戦争が1975年4月30日のサイゴン陥落で終わった後、ベトナムは翌1976年「ベトナム民主共和国」(その後「ベトナム社会主義共和国」に改称)として統一され、サイゴンはホーチミン初代主席(1969年没)にちなんで「ホーチミン市」と改名された。
しかし、その後も中越戦争やベトナム軍のカンボジア侵攻などがあり、しばらく戦後の混乱が続いたが、1980年代半ばになり「ドイモイ」(刷新)政策の下で、漸く混乱が一段落したので、筆者は1985年に初めてハノイを訪問する機会を得た。当時筆者は、外務省傘下の日本国際問題研究所の研究局長(兼所長代行)の職にあり、日越の国際問題研究機関間の交流の糸口を探るのが主目的であった。
初めてこの目で見たハノイの姿は極めて衝撃的で、戦争の傷跡は至る所に残っていた。人々はこれ以上の貧しさはないというくらい貧しく、実に悲惨な生活を送っていたのが今でも忘れられない。
そうした中でも、ベトナム政府は必死になって経済再建に取り組んでおり、かつて同じ状況を経験した日本との協力を熱望していた。特に印象的だったのは、ベトナム政府のエリートたちが、経済再建のためにはエネルギーが必要であり、電力生産力の増強が最優先課題であることをよく認識していたことだ。
ベトナムのエネルギー事情と原発計画
周知のように、ベトナムは日本に似て、南北に細長い国で、北部は山岳地帯が多いので水力発電の適地が多い。戦争後、ソ連(現ロシア)の援助で水力発電所がいくつか建設された。筆者もハノイから比較的近いホン川上流のホアビン・ダムを再三見学した。(その時、かつて1960年代半ばに、旧南越政府の要請により戦後賠償の一環として、日本が建設し、完成したばかりの中部ベトナムのダニム水力発電所とダムを、東京から来訪された岸信介元首相らと共に視察したことを懐かしく思い出した。)
現在このホン川水力発電所のおかげで、ハノイを中心とする北部地域は電力事情が比較的良くなったが、サイゴンを中心とする南部はメコン・デルタ(流域)のため平坦で、地形的に水力発電は不可能なので、慢性的な電力不足に悩んでいる。北で余った電気を1500キロ以上も離れた南に送るのは技術的に難しい。南シナ海の南沙諸島(英語名:Spratly Islands)周辺には海底石油・ガスがあるらしいが、さまざまな理由で十分掘削できていない。また、メコン川の水力発電計画も流域各国の利害が複雑に絡んでなかなか進まない。
そこで、当然目をつけるのは原子力発電である。筆者も、それ以前に外務本省で初代の原子力課長を務め、長年アジア諸国の原子力開発計画に関与した経験があったので、自然の成り行きで、ベトナム政府の原子力導入計画のお手伝いをすることになった。
1989年に退官して大学教授となってからは、しばしば訪越し、自由な立場でベトナム政府の顧問的な仕事を引き受けた。ベトナムからの原子力留学生の受け入れにも力を貸したし、2002-03年には、自ら日本の国際交流基金の派遣専門家という資格で4か月間ハノイに滞在して指導に当たった。(この辺の事情は以下の拙稿をご参照願いたい。)
◇「ベトナムに原発、猫に小判?」
◇ベトナムの原子力発電計画と日越原子力協力の重要性~「一国平和・安全主義」を超えて
◇ベトナム原子力協力の政治的意義と重要性
3.11で日越原発協力は一時停滞
そうした長年の双方の努力が実を結び、2010年10月31日に、菅直人首相(当時)が訪越し、日本からの原発輸出について日越政府間で正式合意が成立した。すなわち、ベトナムが中部の南シナ海沿岸に建設を計画しているニントゥアン第二原子力発電所の2基について日本がパートナーになるということである。(ちなみに、その僅か40キロほど南には、ロシアが建設を予定しているニントゥアン第一原発のサイトがある。)
実は、上記の日越合意成立の翌日から約10日間、筆者は自ら主宰するエネルギー戦略研究会(通称:EEE会議)のベトナム原子力調査団を率いて訪越、ニントゥアン省の建設予定地を視察し、現地住民たちとも交歓した。
ところが、好事魔多しで、そのわずか4か月後に、東日本大震災が突発、東京電力福島第一原子力発電所が大津波に見舞われ、大事故になってしまった。それ以後の不幸な出来事はここで詳述するまでもない。
せっかく日本側も電力会社やメーカー中心の「国際原子力開発株式会社」(JINED)が立ち上がり、さあこれから、という矢先で、誠に不運な状況となった。東電という大黒柱を欠いたまま、作業は思うように進んでいない。他方、ベトナム側でも、その後国会で、巨額の経費を必要とする原発建設計画に疑問が提起されたため、当初の2016年ころの着工、2021− 22年ころの完成予定は見送りとなった。おそらく着工は早くとも数年後となるだろう。
しかし、「災い転じて福となす」の譬え通り、計画が遅れ、時間的余裕ができたことは決して悪いことではなく、この期間を利用して、ベトナム側も十分な準備作業を進めることができるだろう。とりあえず必要なのは、専門家の育成・訓練と関連法制の整備である。もし現状で原発建設を強行すれば、結局日本やロシアなどの専門家頼りとなり、ベトナムのためにならないだろう。後顧の憂いなく、着実に、かつ安全に原子力導入を図るためには、ベトナム自身の科学技術的基盤の整備を第一に考えるべきである。
もともとべトナム人は、知能レベルが高く、勤勉で手先も器用であるから、時間をかけてじっくり計画を実行して行けば、必ず成功すると筆者は信じている。
「第二の故郷」への”贖罪”とけじめ
思えば、47年前のテト攻勢で、いったんは失いかけた人生であり、筆者にとって、ベトナムはまさに「第二の故郷」ある。とりわけ、戦時下のサイゴンで機微な外交活動に従事した経験を持つ筆者にとっては、その後の個人ベースでのべトナムとの付き合いも、いわば――いささか大袈裟な言い方だが――「贖罪」(しょくざい)のようなものだと感じている。ベトナムの友人たちは決してそのことには触れないが、筆者自身の中では一種の「けじめ」だと思っている。
それだけに、日本側も早く3.11の後遺症から立ち直って、日越原子力協力推進の道をぜひ引き継いで行ってもらいたいものである。日本とベトナムの対中外交がそれぞれ難しい局面に差しかかっている現在、日越の友好関係強化の重要性は一段と増していると思う。
金子熊夫(かねこ・くまお) 外交評論家、エネルギー戦略研究会(EEE会議)会長。元外交官、初代外務省原子力課長、元日本国際問題研究所長代行、元東海大学教授(国際政治学)。1960年代半ばに旧南ベトナムの首都サイゴンの日本大使館に勤務。また、1970年代には国連環境計画(UNEP)アジア太平洋地域代表などを歴任。1937年生まれ(78歳)。
(2015年6月8日掲載)
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